k-takahashi's blog

個人雑記用

大空の夢と大地の旅

大空の夢と大地の旅 ぼくは空の小説家

大空の夢と大地の旅 ぼくは空の小説家

 ちょうどその頃、ぼくは双葉社の「小説推理」誌で『大空のドロテ』という小説を連載していた。1919年の夏、つまり第一次大戦直後のフランスとアフリカで、回答アルセーヌ・ルパンの謎を追って少年と少女が冒険を繰り広げる活劇である。
 連載が2003年に終了したが、どうしてもあちこち細部の詰めが甘い。特に飛行機の知識のなさは致命的で、それが物語の厚みを削ぐかたちとなってしまった。単行本化までになんとか全面的に書きなおそう、と思った。しっかり飛行機のことを勉強して、ちゃんとルパンを、少女ドロテをとばせてやるのだ。(p.18)

これだと普段の瀬名秀明なのだが、ここで飛行機の免許を取ったらと薦められ、そして実際に取ってしまう。そこまでしなくてもとも思うが、いかにも瀬名氏らしいとも思う。


 本書はエッセイ集なので、話題は、他にも錬金術やジェームズボンド、宮古島にインフルエンザと色々と書かれているが、やはり圧倒的に面白いのがこの免許取得の部分。

 最初の頃、訓練を受けていて強く感じたのは、マニュアルに自分を填めてゆくことでようやく自分の体が動いてゆくということだった。チェックブックの項目をひとつずつ見ながら手順を薦める。このように動かせばこうなる、という論理を頭にたたき込み、その通りに操作してみる。極端なことをいえば、ぼくたち訓練生はロボットになってゆくことで慣れてゆくのである。(p.76)

 飛行機は自動車と違って三次元の世界を動く。つまり上昇と下降がある。その三次元の世界の中で、思い通りの高度にぴたりと合わせて水平飛行することからパイロットの技術は始まる。だが二次元の常識は三次元にそのまま適用できないことも多くて、それが最初は違和感となる。(p.78)

 飛行機になれるとは、まずマニュアルによって自分を機械に近づけ、そして訓練によって感覚を機体や環境に合わせてゆくことだ。そうすることで二次元だけで通じていた小さな「常識」が作り替えられ、三次元の「常識」を受け入れるようになる。そんなことを思いながらも、体がまだついていかない。(p.79)

 コーチ(2人から訓練を受けていた)の指導内容の微妙な違いに戸惑い、「空の上では人間の知性は半分になるのだ」と感じ、苦労を積み重ねていく。それでも、

7月のとき、ぼくはただ訓練をこなすマシンとなっていた。でも今回は違う。気持ちが切り替わっているのを自分でも感じていた。楽しんで飛ぶことができる!(p.104)


 こういう気持ちや認識の変化が面白い。少しずつ慣れていき、自分の手で機械をチェックし、いざというときの訓練もする。これをずっと推し進めていくのが宇宙飛行士だというのも素直に納得できる。第二次大戦時のアメリカがドイツに対抗する機甲師団を作り出せた背景には膨大な運転免許保持者があったのだが、宇宙開発、特に有人飛行の背景には航空愛好家の分厚い層がやはり強みとしてあるのだろう。
 瀬名氏がここで語っているのは小型航空機のことだが、100年前の自動車や、近い将来の宇宙船や巨大ロボットなども同じような感じで訓練し、慣れていくのだろう。


 プロとして飛ぶ場合には、という話題でこんなものもある。

どこかの金持ちをある場所まで運んで、帰ろうとしたらRマグネトが動かない。金持ちの乗客は焦り出します。どうしても二時間後に戻って会議に出ないと会社が潰れてしまうんだ、エンジンは回るんだろう、飛んでくれよ、チップを100万円はずもうじゃなないか。そのときパイロットとして瀬名さんはどう判断するか、ということなんです。試験管は質問で追及してゆくんです。どんどん状況を絞り込んでいゆく。人を乗せて飛ぶとはそういうことなんですよ。(p.130)

このあとで、堺三保氏を乗せてLAを飛ぶエピソードが出てくるが、そこではきちんと客を乗せる機長を演じていたのも愉快だった。


 これらの体験を踏まえて、「ドロテ」がどう修正されるのか。今から楽しみ。