k-takahashi's blog

個人雑記用

裁判の原点 ~裁判は正義の実現手段ではない

 

 「裁判とは何か?」「裁判所の役割はどうあるべきか」というのを対話形式で解説した本。

「裁判は正義の実現手段ではない」というのは「おわりに」に出てくる解説では、

国家の強制力と結びついており、相手の立場や利害関係にかかわらず一定の結論を押しつける力を持っているという意味で、より慎重に運用されるべき制度だと考えるべきかもしれない。にもかかわらず、それがこの私の正義を実現してくれる制度だという期待を抱き、行政・立法を含めた社会的意思決定を動かすという苦労の多いプロセスをかいくぐるためにあるいはバイパスするための制度であるかのように考えることは完全にあやまりであると、そろそろ言い切るべきではないだろうか。(p.238)

となる。

俗説と実態の違いの解説とか、日本と諸外国の違いとかを入門者向けに解説してくれる。

入門書なのでざっくり読めばいいのだが、色々大変だなあというのが第一印象。

 

以下、メモ代わり

  • アメリカの違憲立法審査というのが基本的に州と連邦、議会と大統領の争いの調整のためのものである
  • 日本は司法消極主義と批判するのはあたらない。
  • 裁判所が定数問題で選挙が無効だと判決を出しても事態は改善しない。調査したり、あるべき制度を設計したりする能力を持たないから。
  • 立法への影響力を狙った政策形成訴訟は、かつては活用されたが現在は状況が違う。むしろ司法府に負荷をおしつけてはいないか。
  • 裁判所自体が調査を行うことはない。裁判で扱われるのは原告被告が提出するものだけ
  • 議会は少数派を無視するというのは正しくない。性同一性障害の解決が立法でスムーズに進んだのは、逆に対象が圧倒的に少数派だったからという面がある。(利害調整が小さかった)
  • 三権分立と言っても実態として司法権に対するコントロールは機能していない
  • 判断の間違いには「結果予測の誤り」と「価値判断の誤り」がある。前者は専門家が、後者は民衆が最終的には決めるものなので、間違いの対処の仕方も変わる。

とくに最後の部分は、司法と立法の権限の分離の話(間違いを防ぐメカニズムも異なる)なのだが、付け加えれば法曹界がしばしば科学や工学を踏みにじる問題でもあるなあ、と。