k-takahashi's blog

個人雑記用

応仁の乱

 

応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

 

 応仁の乱と言えば、細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)が、将軍義政の跡取り争い(義視vs義尚(日野富子))に介入して始まり、幕府の権威が失墜して下剋上が起こり戦国時代が始まった、というふうに教わった記憶がある。私が学んだ頃はまだマルクス主義歴史学が幅を利かせていたころだから、一揆等で民衆の力が高まったというのもあった。

さすがにその考え方が古いというのは聞いていたが、ならどうだったのかというとよく知らなかった。

本書は、奈良興福寺の経覚、尋尊、という2人の僧が残した日記を手がかりに、当時の人々がどう見ていたかという観点で応仁の乱をまとめてくれる。
基本的に京都とその周辺での戦いであった応仁の乱なので、2人はある意味で応仁の乱を「眺めていた」立場にある。もちろん奈良にも当然余波はあったし、畠山義就が大和にやってきたときには大変なことになっている。

 

基本的には畠山氏の内紛があり、そこに第一次大戦的な同盟やらメンツやらの縛りで戦闘が拡大していったという感じにまとめている。短期決戦を目指しながらずるずると長期化した辺りや、同盟・対立関係が入り交じっていたため停戦(妥協)交渉がうまくいかなかった辺りも第一次大戦に似ている。この辺のややこしい関係をきちんと説明してくれるところが嬉しい。

京都にいてもメリットがないと大名が地元に戻ってしまい、それが将軍の支配範囲を近畿近辺だけにしてしまう。そのため大名同士の争いを将軍が解決できなくなってしまう。幕府が崩壊したわけではないが、支配範囲が日本ではなくなってしまったということ。地元に戻った大名は直接領地を支配するようになる。これは郷村や百姓との直接交渉ということであり、表舞台化したということ。

あと、文化面でも在京武士が帰国したことで、各地の武士が文化のパトロンとして振る舞うようになった。これが貴族が下ったことに劣らず重要。

 

 興福寺として、年貢やイベントの心配をしたり、噂を分析したりするところも面白い。この興福寺視点がちょくちょく入ってくるのが本書の面白さになっているのだと思う。