k-takahashi's blog

個人雑記用

ゲームジャーナル32号

付録ゲームは2つ。「関ヶ原大作戦」と「入札級関ヶ原」。
「大作戦」ソロプレイ可能な関ヶ原という珍しいゲーム。戦意トラックや調略トラックなどが一度大きく一方に振れるとあとは一気に終わってしまうシステムで、ある程度全軍の動きを制御している。
「入札級」はちょっと面白い動機で作られている

金丸一郎氏が、ユニット0個、所要時間0分のウォーゲーム「0シリーズ関ヶ原」というのを披露していたのを、覚えていらっしゃる方はおられるだろうか?
要するに関ヶ原というのは小早川がついた方が勝つのであるから、わざわざマップにユニットを並べる必要など無い。小早川寝返りチェックだけ行って、寝返ったら東軍の勝ち、寝返らなかったら西軍の勝ちで良いのではないか、というのが氏の主張であった。
このアイデアはその場で一笑に付されたそうであるが、実はそれを聴いて大きな感銘を受けた男が一人いる。他ならぬ私だ。(p.32 入札級関ヶ原デザイナーズノート より)

そして、

 では、具体的に小早川がつかなかった方にはどれだけのハンデを与えればいいのか?
 それもプレイヤーに決めてもらえばいいのだ。(p.32)

これ、デジタルゲーム化して、「入札終わったら見てるだけ」とかしても面白いかも。


 前号からの続きである柿崎唯氏の「シミュレーションゲーム批判もどきその9」。
まず「戦国大名」批判の続きとして、国内体制が史実とかけ離れていると指摘する。

これら千差万別の戦国大名の国内事情、地域事情を考慮せずに「統一」するというのは如何なものだろうか。(p.60)

戦国大名では、兵士に出身地が無く大名自身にも本拠地がない。結果としてプレイヤーは好きなところで兵士を徴募し自由に配置できる。季節で兵士を根拠地に帰還させる必要もない。本拠地を失う罰則もない。これは歴史的に見てきわめておかしい。
 いや、確かにそういう大名も存在した。根拠地らしい根拠地を持たない、というかその時点での戦略重心に本拠地を移転し続け、兵士は専門兵で一年中前線に貼り付けることができ、有力家臣の俸禄を抑えて部隊の兵力が足りない場合は大名直属兵を「寄騎」として配属した、きわめて合理的なシステム。そう、織田家である。(p.60)


 結局のところ、「戦国大名」というゲームは「すべてのプレイヤーに天下統一のチャンスがある」という方針でデザインされているが、そもそもこれがヒストリカルとはほど遠い設定だというところがポイントである。
専門兵システムではない農民兵システムを中心に据えるというのは、織田家が登場しないということと同じである。これではゲーム(商品)としての魅力がない。
仮想戦の発想で織田家に農民兵を導入した場合、誰も天下統一はできない。これではゲーム(商品)としての魅力がない。
ヒストリカルにするなら勝利条件は個別に設定するしかない。しかしそれではゲーム(商品)としての魅力がない。


 柿崎氏は、「戦国大名」のシミュレーション性は大名相互の外交関係の再現のところにあり、それは「ディプロマシー」のシミュレーション性と類似していると指摘している。一方で、ディプロマシーが外交戦以外何もないシンプルなゲームであるのに対し、戦国大名には多くのギミックが含まれている。そのため誤解されてしまっているということだそうだ。


 歴史記事の「関ヶ原合戦は遭遇戦だった」はなかなか面白い分析。

  • 関ヶ原合戦の戦史はすべて徳川体制のもとで書かれた。なのになぜ徳川本隊の活躍の記述がないのか?
  • 決定的な瞬間で選んだ選択肢が、徳川本隊の投入ではなく小早川への威嚇射撃だというのはどういうことか?

「それは、関ヶ原の戦場に徳川本隊がいなかったからだ」という観点から15日の各隊の移動を分析している。
図表がないと説明が難しいので、興味のある方は本文をどうぞ。(行軍タイムテーブルと毛利秀元小早川秀秋の布陣図ないとわかりにくい)。