k-takahashi's blog

個人雑記用

パンデミックとたたかう

パンデミックとたたかう (岩波新書)

パンデミックとたたかう (岩波新書)

 実際のところ、私たちはパンデミックとたたかっているのではない。本当はこの現代社会とたたかっているのだ。どんなに合理的に対処しようとしても、私たちはそのような理想を実現できるわけではない。政治的判断が優先されることもある。科学的根拠に基づいたはずの判断が誤ることもある。刻々と変化する状況に、私たちの「頭」と「腹」はなかなかついていかない。後付けで「あのときの決断は間違いだった」と批判することはたやすいが、そのときに少しでも適切な判断を模索し、行動することは難しい。押谷教授がいうように、これは社会心理学の問題なのだ。(はじめに、より)

 今回の新型インフルエンザは直接人類を滅ぼすようなものにはならないだろう。しかし、それでも様々な影響がでることは間違いない。それはどんなものなのか。我々はそれにどう立ち向かえばよいのかを対談形式でまとめた一冊。
 キーワードは「想像力」である。「とりあえず自分に関係がなければ」「とりあえず日本に関係がなければ」といった発想が現代のパンデミック対策には不向きであるのにそういう考えになってしまう、その背景に想像力不足がある。今後どんなことが起こりうるのか、世界と自分はどう繋がっているのかなどは想像力なくしては考えられない。適切に恐れるためには、適切な想像力が必要なのである。


 本書には大きく2つの内容があり、一つは今起きているパンデミックとはどういうものなのかと言うことについての正確な情報提供。なぜ封じ込めだけではダメなのか、学級閉鎖の意味とは何か、季節性インフルエンザと何が違うのか、などが丁寧に説明される。夏頃に一部にあった「どうせなら自分は大流行する前の今の内にかかっておけばいいんじゃないか」という考えの何がどうまずいのかもよく分かるようになっている。

つまり、致死率10%のパンデミックを考えている限り、パンデミック対策は進まないのです。そのことに気がついて、やはりスペイン風邪に戻って考え直そうと思ったのがつい半年前です。でも、遅かった。(p.85)

何を想定していたのか、実際に起きたのは何か、そこのずれがちぐはぐな対応を生んだ一因となった。最悪を想定するのは悪くないのだが、そちらにばかり考えがいってしまっていたのだ。

今回は確実に、人類史上初めてインフルエンザの拡散メカニズムがきちんと検証できる機会です。(p.93)

次回(あるいは今後)に向けてどんな情報が得られるのか。拡散メカニズムの検証は対策にとって非常に重要である。押谷先生はSARSのときに拡散メカニズムが一瞬分からなくなったときが非常に怖かったと述べてもいる。

押谷:ただ、今回の新型インフルエンザの報道で非常に失望したのは、新聞は揺れるのです。
(中略)
心配なのは、そうして、新聞が揺れることで、読者の人達が流されてしまわないのかどうかです。(p.106)

メディアリテラシーの大事さ。マスコミの何がダメなのか。マスコミによるフィルターは大きな問題となる。


 二つ目は、我々は今後何を考えていかなくてはならないのか、の話。

 日本の医療の弱点を突かれて被害が拡大する可能性があります。ICUのベッドが足りない、医師不足医療崩壊といった困難な状況の中で、重症化した人達をどう治療していくか。(p.17)

規模が拡大し負担が拡大すれば、一番弱いところから切れる。そこをきちんと考えられていないだろうという指摘。余裕が少ないところに患者が押し寄せればどんなことになるのか、それも想像力があれば分かる。

(季節性インフルエンザと同じだ、という誤解はなぜ起こるかについて)
押谷:医師をはじめ、医療従事者がきちんと理解していないからだと思います。だから、一般の人にきちんと伝わらず、きちんと理解されないのです。医師達が理解していないのは、実態に関する情報が、彼らの情報ネットワークに引っかかってこないからだと思います。
(中略)
そういう専門家の情報ネットワークに引っかかるような工夫を考えなくてはいけないと思います。(pp.50-51)

誤解が生じたのは、やはり情報提供不足だったという反省。次に何をしなくてはならないのか。特に事態の進展により忙しくなった現場にどうやって正しい情報を適切に送ればよいのか。

パンデミックは日本全国で一斉に起こるので、他地域からのサポートやバックアップは期待できないだろうと考えてきました。でも、今回のパンデミックを見ると、感染拡大は実際にはバラけて起こるような気がします。もしそうだとすると、最初の頃に起こる流行や、あとの頃に起こる流行では、少しはサポートができるのかもしれません。(p.96)

ただし、別のところでは、最初の頃に流行したところにまだ流行していない地域から医療リソースを送り込むのは難しそうだとも述べている。当然、皆、自分が心配なのだから。囚人のジレンマのごとし。

「通常予想できる範囲を超えるもの」というのが、アウトブレイクの定義です。(p.130)

今回も予想外のことが起きた。次も起きるだろう。そのときに、過度の楽観論にも悲観論にも陥ってはならない。これもまた想像力によって鍛えていくしかないようだ。

瀬名:超成熟社会での公衆衛生のあり方というのは、すごく難しくなってくるのではないかと思うのです。
押谷:いや、すでに難しくなっていますね。アメリカではまだ公衆衛生の考え方が残っていて、「社会を守るために」というところがありますが、日本はそういうことが難しくなってきています。例えば予防接種が双です。
(中略)
副反応が起きたときの訴訟や賠償責任の問題で、どんどん個人的な話になって、公衆衛生と言うよりも個人防御という考え方になってきていますから。しかし、パンデミックのような自体には、そういった考え方だけでは対応できません。

これは正直頭が痛い。たぶん日本での対パンデミックという鎖で一番弱いのは、ここの部分だろうから。



 幸い、現時点では新型インフルエンザはなんとか押さえ込めており、対策の普及で季節性インフルエンザも減少している。この余裕で、正確な情報を得て、正しい想像力を働かせて、次に備えなくてはならない。
 あとは、例によって瀬名先生なので「自分はどういう小説を書けばよいのか」という話も出てきます。