- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2011/01/25
- メディア: 雑誌
- 購入: 1人 クリック: 33回
- この商品を含むブログ (12件) を見る
選択の妙というか、ファーストコンタクトつながり、内的状態繋がり、自分のやっていることを信じるか繋がり、という感じで絶妙な4作セレクトになっていると思う。(そうでないと、SF性の薄いペリカン・バーがここに入る理由が分からなくなってしまう)
ヒューゴー・ネビュラの長編部門はミアヴィルとバチガルピでどちらも面白そう。
前後編の前編である「ヒロシマ…」は映画的蘊蓄と歴史改編が面白いが、後半にどうも一捻りありそうな感じ。個人的なお気に入りは「島」の皮肉なオチで、人間性とファーストコンタクトをこうつなげるかという感じが面白かった。
作家論シリーズの第2回は、金子隆一氏によるクラーク論。
あらゆるタイプのSF読者を対象にまんべんなく、徹底的に統計を取った場合、もっともSF作家らしいSF作家、SFのイメージの核となる作家としてあげられるのは、まずクラークであろう。(p.217)
クラークはハードSF作家かというところを論じ、
つねに通奏低音として彼の作品の背後に流れ続けていた、人類の進化を見据える視点の確かさと、そのパースペテクィブの広がりであろう。(p.219)
とする。そして、クラークの位置づけについて
クラークは、現代SFの黎明期からそのメイン・ストリームの中にあり、イギリス伝統の科学哲学の正当な後継者の地位にもあり、かつ宇宙開発の歴史をその第一歩から目撃し、そのすべてを自らの血肉として成長してきた奇跡のキャラクターである。こればかりは、後世のどんなSF作家にも二度とまねできない、歴史上の人物だけの特権であり、もはやこのスケールと経験値の作家が生まれることは決してない。だが、基本的に彼は相対性理論までの古典物理学に根ざした人であり、その作品も、科学ジャーナリストとして名を馳せた人にしては、案外最新のトピックスを導入することに慎重である。(p.223)
とする。ここで金子氏はクラークとバクスターとのユニットについて、
多少おっちょこちょいの気味はあるにしても、小説はうまくなくとも、ハードSFの醍醐味の一つ、最新の科学情報を手玉に取り、そこからさらに壮絶なイメージを引き出すことに欠けては当代随一のバクスターと組むことには、単なる企画ものの枠を遙かに超える意味合いがあった。(p.223)
として、クラークは最後まで可能性を示唆しつつ世を去ったのではないか、とまとめている。この意味での路線って、どこに繋がっているのだろう。
大森望氏のコラムでは、慶応大学SF研の会報のこんなくだりを紹介している。
このエッセイの結論は、<アホみたいな量のアンソロジーを作らないでほしい>と、<ちゃんと新人を発掘して育てるべきだ。無理矢理SFの可能性を広げようとして意味不明な純文学を拾ってこないで欲しい>の2点。(p.188)
一応、「そんなことはないよ」という反応が続くのだが、2つめの後半の指摘には微妙に答えてないような気もする。うがちすぎかな。