k-takahashi's blog

個人雑記用

自衛隊救援活動日誌 〜現場からの問題意識。そして食べ物は大事

自衛隊救援活動日誌  東北地方太平洋地震の現場から

自衛隊救援活動日誌  東北地方太平洋地震の現場から

政策補佐官の須藤彰氏は、メンタルケアの一環として日記を書いていた。それを、感想も付けてくれという上司の要請に応えて報告書として提出。それが巡り巡って一冊の本としてまとまったもの。
一つの記録として、あえて大きく書き直すこともなく出版することにしたそうです。


著者の所掌は、自衛官霞ヶ関を繋ぐこと。なので、迷彩服を着て現場を歩く顔と、霞ヶ関官僚の顔との二つを持っており、その見聞きする範囲は広い。
その上、義父との距離感で悩んだり、子供の顔を見て喜んだりという顔もある。更に言えば、本人も家族も被災者であり、そういう顔もある。
それらが渾然と、率直に書かれている。

やたら食べ物の話が出てくるところとかも、変に生々しくて面白い。納豆、ヨーグルト、ラーメン、缶飯、レーション。80トンのパンの話とか。あげくの果てにラーメンのデマが広がり、調べてみたら震源地が本人だったというエピソードも。


阪神・淡路震災の時の自衛隊の活動を書いた本*1以前読んだことがある。行間から悔しさや歯ぎしりが漏れてくるような一冊だったが、あれから15年。今回は

結局、初動の段階では人海戦術が全てです。情報をとるにせよ、人命を助けるにせよ、人員の数こそがものを言います。「もっと人が欲しい。とにかく人が欲しい」。何度口にしたことか。
とはいえ、限られた情報と資源の中で、ときには無力感を憶えながらも、部隊は被災者のために全てを捧げてきました。確かに、我々の活動は完全ではなかったかもしれません。しかし、最善を尽くしたことだけは間違いありません。(p.12)

とはなった。


日記は3月16日から4月24日まで。あちこちに、色々なヒントがかかれているので、災害支援に関心があるなら必読。分量もそれほど多くはないし。


以下、幾つか。

物資が無い、とは。

これからも不満は出されるはずです。その際、必要な物資を速やかに提供することもお大切ですが、被災者の不満や意見、身の上話などを丁寧に聞いていくことも忘れてはいけません。場合によっては「ものが欲しい」は口実で「話がしたい」が本心かもしれません。(p.37)

ああ、なるほど、と思った。それは確かにあるだろうな。
遺体や遺留品の捜索も、肉親を失った被災者のメンタルケアの面が大きい様子も、何度も書かれている。

避難所の人たちと対照的に心配なのが、自宅で頑張っている人です。避難所へ行かず、なんとか自力で頑張ろうと、スーパーに何時間も並んで僅かな食材を買い求めていますが、閉店中のところも多く、物資は殆ど入手できていないようです。自衛隊としては踏み込みづらい領域ですが、避難所で余った物資を自宅に入る人にも配分できないものか、考えずには居られません。このままでは、在宅避難者が「干上がる」おそれがあります。そこまでいかなくとも、不公平感を憶えることは間違いありません。(p.62)

こちらは、本当に物資が無いケース。どちらにしても、現場をある程度動き回る人が必要なんだということが分かる。

役割分担

それまでの間、避難所への物資の輸送は自衛隊が一手に引き受ける必要があります。遺体の搬送か、被災者への生活支援か。車両の配分をどのようにすべきか、悩ましい判断です。
本来の所掌という観点からも、被災者への生活支援という観点からも、現場としては、可能な限り、遺体の搬送・埋葬を自治体と厚労省で対応して貰えると助かります。(p.42)

なんでもかんでも自衛隊にできるわけでもないし、するべきでもない。

こんな市があります。ここは、道路上にある形跡をとどめない車でさえ、部隊に片付けさせてくれません。通達では撤去しても良いことになっていますが、所有者の権利に配慮をするあまり、道路の真ん中を塞ぐ「鉄くず」は、せいぜい道ばたに寄せるだけとなります。したがって、なかなか道路が広がりません。(p.58)

そもそも自治体側がきちんとしないと、自衛隊も思ったように動けない。


但し、それは別に役人が悪いというだけでは済まない。官僚としての顔も持つ著者は、役人の職業倫理観というものも理解している。

確かに、「自分の担当のこと以外は関心をもたない」という「タコツボ」マインドは消極的な姿勢に見えます。
しかし、裏を返せば「自分の担当についてはしっかりやる」という誠実な態度でもあります。自分に与えられた仕事をしっかりと遂行するために、その範囲を明確にしたい。「割り振り」「縦割り」はある意味で、自らの職務を誠実に遂行したいという役人の職業倫理でもあります。(p.77)

なので、政治家が大事なんですよ。
ただ、その政治家も色々難しく、こんな問題もあったそうだ。

一度テレビに出るとマスコミには続けて取り上げられるようになります。反面、役人は近寄らなくなるので、市長は寂しくて困っていたようです。(p.104)


あとは、非常に悪い例としてあげられていたのが以下。

ある自治体へ行ってきました。ここについては、震災以後「動きが悪い」「自衛隊に丸投げ」「丸投げなのに協力的でない」と良い話は聞きません。他方で、陳情力は高く、そのたびに関係機関が大きく振り回されます。一体何が問題なのか、じっくり時間を取って調べてみました。(p.118)

地域性、財政、行政の三者が悪循環を起こして萎縮状態に陥って調整出来なくなってしまい、その解決を安易な「陳情」に向けてしまっていたとのこと。合併自治体で、その調整ができていないまま震災を食らってしまったようだ。

ボランティア

町役場は流されてしまいましたので、役場は現在、避難所と兼用で高台の公民館に入っています。
そこに十人程度のボランティアが居ます。「ボランティア道」なるものがあるのかは別として、彼ら曰く、その道の「傍流」だそうです。彼らは「学校の成績表の特記事項に書いて欲しいので来ました。正直、強い思いはないんです」とあっさりしたものです。しかし役場の人に聞いてみると、本当に役に立っているそうです。
(中略)
完全な裏方で地味な役割ですが、誰かがやらなければならない作業です。動機は何であれ自治体の采配に従って、素直に動いてくれるボランティアは重宝とのことです。(pp.72-73)

エスニック料理を作るので自治体で食材を用意してください。自衛隊さんには炊事車を貸してもらうか調理用具を用意してもらいます。ボランティアのスタッフをこちらに連れてきますのでその足も用意してください」とボランティア氏。「いやいや、そういうものが簡単に用意できるのであれば、そもそも避難所なんていらないんですよ。それが全てないから、皆が苦労しているんですよ」と連隊長。最後はボランティア氏が「自衛隊は被災者の身になって考えないのか。それでも人間か」とすごい剣幕で怒り出し、政治家の名前も持ちだして、立ち去っていきました。成績の特記事項など、損得で動く人には説得の仕方もありますが、自らの理想や「善悪」で動く人は尺度が難しく、事情を分かって貰うのに苦労します。(pp.73-74)

対照的な2つのボランティア。「成績表のためです」とあっさりした人が、重要だが地味な仕事をきちんとやってくれて歓迎されている。一方、理想を振り回すタイプがはた迷惑となっている。


米軍

ランチが終わって海兵隊が作業を再開すると、その迫力に圧倒されます。作業がとにかく速い。ブルドーザーは一台しかありませんが、他の隊員達もマシーンの到着など待ってられないと、素手でわんさか瓦礫をかき集めては、ダンプにひょいひょいと放り投げていきます。本当にエネルギッシュです。
震災後、外では車も人も見かけないし、たまに見かけるとしても、救援物資を貰うための行列やお店での行列と「動き」がない中、この作業は壮観です。「エンパワー(活気づけ)」です。
世界最強の米軍には学校の清掃などは全く物足りない作業でしょうが、バカにしたところは一切無く、力を出し惜しむこともなく、とにかく真剣にガシガシ瓦礫を片付けていきます。一切の手抜きなし。「全力投球」です。大リーグの試合を目の前で見ているような感動すら憶えます。(pp.90-91)

「学校を片付けるのも大切だが、いつまでも人の助けを受けていたら、島民も肩身が狭いだろう。子供の教育にも良くないだろう」
地元の目先の希望ではなく、その将来を思って漁港を整備する。「自立」を何よりも尊重するアメリカ人ならではの発想かもしれません。(p.100)

上は地域の象徴というような位置づけで学校の清掃を米軍に依頼したときのエピソード。米軍の動きを「エンパワー」と見るのはなるほどと思った。(なんとなく、http://www.youtube.com/watch?v=vjBFiz_7X7Q を連想。)
下は気仙沼の大島での支援。こちらは米軍が学校清掃を断って漁港の整備に着手したというエピソード。アメリカ人らしい発想がうまくはまった例だと思う。

*1:

阪神大震災 自衛隊かく戦えり

阪神大震災 自衛隊かく戦えり