k-takahashi's blog

個人雑記用

古川享のパソコン秘史 〜アスキーの80年代

元MSKK社長、他色々な経歴を持つあの古川享氏の自伝兼当時の記録。本書が扱っているのは1980年〜90年あたりまで。古川さんの経歴で言えば、1975年にコンピュータ関連のバイトを初めて、1978年に渡米(で、このときにASCIIに連載記事を始めている)というころから社長に就任するあたりまで。内容的には90年頃までかな。


基本的に古川さんの回想録なので、細かい部分が正しいのかどうかというのは別途チェックしないといけない(勘違いや記憶誤りは当然ありうるし、書かれていないことも多い。)のだろうが、面白いのは間違いない。80年代のパソコン文化に興味があるなら必読。
80年代のアスキーの誌面から感じた雰囲気と、書かれている内容とはかなりマッチするので、大きくはずれてはいないのだと思う。
一方、ビジネス書としてみると、まあ、色々阿漕なことやってきたねえ、と苦笑するシーンも多い。MS関連のところは、他の資料とかとつきあわせて別に一冊まとめるべきなのかもしれない。


さて、80年代のアスキーの稼ぎ頭が出版部門。メーカーのサポートとしてテストや評価を行い、その流れでマニュアル類の作成の仕事を請け負い、そこで得た情報を使って誌面や解説書を作るというもので、これが良い感じで回っていた。
その儲けを使って、高価なコンピュータをガンガン買い込んで社員やアルバイトにそれを使わせ、そうして集めた人材に上記の仕事をやって貰えば高品質で早く作れるといった感じだったらしい。
具体的にいつ頃どのくらいの儲けがあったとかは書かれていないけれど、やっぱりお金があるところは羨ましいですね。メーカーのビジネスにしっかり食い込んでいたところが、他のマイコン誌との違いだったんだろう。
(あと、トーハンや日販を通すときも、返品無しの買い切りだったそうだ。これは凄いと思う。)


本書中に何度か『BASIC Computer Games』という本が出てくる。国産マイコンのBASICの評価などに使ったという話が出てきている。
実は私がベーシックを勉強するときに使ったのがこの本。機種依存性の低いBASICの本で、面白そうな題材を扱っていた本、というのはあまり無かったんだよね。
本棚を探したら、まだ残ってた。
 



そういう当時のアスキーが、ビジネスの観点からはかなり中途半端になってしまったMSXを作ったというのも面白い。価格とか色々な観点から検討した結果ではあったのだろうけれど。


なお、全体の3分の2くらいで本文が終わり、残りの3分の1は単語帳・人名リストだったりする。ここも面白い。

PCエンジンについて

古川さんではなく、後藤富雄氏(TK-80の開発者)の寄稿にゲーム関連の部分があったので、一部引用。

84年初頭、シャープの方々とシャープの市ヶ谷東京支社に集まり、ファミコンMSXを凌駕する対抗馬を考えようと密談を行っていた。
(中略)
ゲームソフトのキーマン達との親睦会で、スプライト機能、音楽機能、それと大きな外部記憶が欲しい、といつも聞かされていた。
(中略)
ハドソン訪問、試作機デモを見て閃いた。このチップセットとCD-ROMの組み合わせで念願のゲーム機ができる、と。
(中略)
数年後、ソニーの友人、福田譲二君の仲介でビデオ事業部の事業部長を訪問した。目的は、PCエンジンソニーも一緒にとの打診。
(中略)
帰り際、「この話は久夛良木君なら分かるから呼ぼう」と内線電話をかけたが外出中。後に久夛良木さんは、任天堂スーパーファミコンのCD-ROM接続の提案をするが拒否されたと聞く。久夛良木さんも光ディスクの将来性に確信を持っていた。あの時、久夛良木さんと先に遭遇していたら、違った展開になっていたかもしれないと思う。
(No.1293)

ファミコンディスクシステムが86年、PCエンジンの発売が87年だから、ソニーに行ったのは88年頃だろう。だとするともう久夛良木さんはスーファミにがっつり首を突っ込んでいる状態だったはず。ただ、タイミング次第では、ソニーの音源チップがCD-ROM^2に載った可能性はあったかもしれない。ゲーム音楽の進歩が数年早まる可能性はあった、のかも。