k-takahashi's blog

個人雑記用

母さん、ごめん

高齢者の介護は事業だ。
感情とは切り離して、高度に社会的な事業として考えなくては、完遂はおぼつかない
(No.2346)

ここでいう「完遂」とは「きちんとした介護」ということ。プロの技術ときちんとした計画、投資がなければ高齢者を適切に介護することができない。それができなかったという意味で「ごめん」なのである。


そしてそれは、今は親世代の介護の問題となっているが、しばらくすれば自分の番が回ってくる。いわゆるピンピンコロリは狙ってなれるものではない。認知症発症などにより要介護となるかどうかは確率的なもので、個人の努力で回避しきれるわけではないから。


実際に親の介護で苦労した中年男の回顧録であると同時に、そこから社会的な介護のありかたを提言する本でもある。そして、認知症という症状の難しさも示している。
本書の中には「洗濯物が増えたので使いやすいタイプの洗濯機に買い換えたら、母親がそれを使えなかった」というエピソードが出てくる。簡単高機能になっても、そもそも新しいことを憶えるのが難しいのだからどうにもならない。
だから、買い換えるなら症状が進む前でなくてはならない。でも素人にその判断は難しく、だから早い内からプロのサポートが必要で、それは社会的なシステムとして組まないと機能しない、ということで最初の話につながる。


他にもニセ医療、通販業者の定期購入契約などへの憤りも書かれている。


悪化が進む中、対応する側もされる側も余裕を失い、それゆえに適切な対応ができずに更にストレスが溜まり余裕が失われていく、という構図は筆者も崩壊する組織としてなんども取材しているのだが、それが自分の身にはなかなか適用できないというのも書かれている。だから、きちんとシステム化して経験の浅い人(大半はそうだ)がはまらないようにというのは実にまっとうな提案。


親を介護する可能性、自分が介護される可能性、だけでも大事だが、同僚や友人が介護する・される可能性もあり、人ごとではすまない。
松浦晋也さんの文章なので、理系の人にはむしろ読みやすいと思う。(そして、それゆえに問題の難しさ、認知症の厳しさもよく分かる)