k-takahashi's blog

個人雑記用

昭和のゴジラ映画、全部見てみた

12月、Netflixのお薦めに初代ゴジラが出ていて、見たら全部揃っていた。で、なんとなくスイッチが入って、昭和のゴジラシリーズを全部見てみた。(84ゴジラは別途)

 

総論

とにかく、第一作がずば抜けている。もちろん、この第一作を中心にしてその後の全てのゴジラ映画、というか怪獣映画があるわけだから当然なのだが。

第一期ゴジラシリーズというのは全部で15作あるが、再見する価値があるのは初代だけだろう。(条件緩めたとして、「キングコング」「ヘドラ」「メカゴジラの逆襲」の3本かな)

以下は映画評ではなく、雑感的なメモぐらいの感じ。

 

各論

ゴジラ(1954)

とにかく避難慣れしている人達。行政も避難命令をどんどん出す。まだ戦後なのが分かる。シン・ゴジラの「簡単に避難と言わないで」とは対照的。

山根博士のゴジラ研究提言は、結構な被害が出たあとでも言っている。
ジェット機のロケット攻撃でゴジラを一旦は追い払った形にはなっている。一時的にはなんとかなり、それで時間を稼いでいる間にどうにかするというのは大事なパターン。それとどうにもならない演出との組み合わせが大事。これは初代から同じ。

終盤は、野戦病院→芹沢博士の研究室→合唱→芹沢博士の決意→オキシジェン・デストロイヤーと一気に進む。

ゴジラのテーマ曲とされている(ドシラ ドシラ ドシラソラシ ドシラ)曲(「ゴジラ・タイトル」。映画のオープニングにかかる)は、この映画では基本的にゴジラに立ち向かう人間側に被さる音楽になっている。ゴジラ側には「ゴジラの猛威」という別の曲があって、昭和ゴジラでは唯一の例外を除いて「ゴジラ・タイトル」はゴジラの音楽にはなっていない。

  

ゴジラの逆襲(1955)

一本目が大ヒットとなり続編を作ることになった。今度はゴジラが大阪を襲ったらというアイディア。それはいい。問題は、退治したはずのゴジラをどうやって復活させるか、復活したゴジラをどうやって退治するか。これを第一作と整合しなくてはならない(さすがに、実は生きていたとか、もう一つオキシジェン・デストロイヤーがありましたとかは無理)。ここがある意味見所となる。

殺してしまったゴジラを復活させるのに、恐竜の生き残りという「種族」だとして別のゴジラとして復活させる方法を選んでいる。で折角なので同じ時期にいたという設定の別の怪獣も登場させた。これで怪獣同士の戦いという良い「絵」が作れる。なるほど。

映画としては、だらだらとした描写が多く、テンポが悪い。音楽もあまり良くない。楽曲が悪いというよりは使い方が疑問で、BGM無しのところも多いし、なんで折角の一作目の音楽を流用しなかったんだろう?

灯火管制を一生懸命やっていて、それを犯罪者が火事でぶち壊しにするというところは、やはり当時はリアル感あったんだろうな。

最後は氷山の中に閉じ込めて無理矢理冬眠状態にしてしまうというアイディアで終わらせている。

 

キングコング対ゴジラ(1962)

怪獣バトルは楽しいが、アンギラスでは役者不足。そこで今度はキングコングという良い相手を見つけ出した。この着眼点はいい。そして、「逆襲」では北極で氷漬けにされていたゴジラと南洋で発見され運ばれてくるコングという対比。この両者が関東で激突する。(前作との間が7年あいているが、この間に、ラドン、バラン、モスラ、を作っている)

とにかくゴジラの動きが「軽快」。2作目からそうだったけれど、50メートルには見えないのだが、怪獣同士を戦わせるのにはどうしても動きを見せたくなる。

ヒロインまわりがグダグダだけれど、怪獣まわりの伏線や描写は結構しっかりしている。南洋植物の調査からキングコングと薬の話があって、コングを眠らせる薬が準備できていたり、新製品開発ネタからコングを吊すロープにつながったり。ゴジラも電流苦手という設定をコングの帯電と繋げたりしている。

二大怪獣の激突後に両者が海に落ちてエンディング。

 

モスラ対ゴジラ(1964)

コングは他社のIPなのでできれば自分で作りたい。で人気のあったモスラを使うということにでもなったのだろう。モスラが前に来ていることからも、モスラを推していることが伺える。コングで南洋原住民文化を使ったのが受けたので、その流れとしてもモスラは合っている。(音楽も。まあ、モスラの音楽は既に定評あっただろう)

小美人の歌を、初代の鎮魂合唱に近い位置づけで使っている。

工場を襲うゴジラのシーンはなかなか絵になるし、勝手に動いていたコングと違ってモスラは人間の都合にある程度合わせて戦ってくれるので話もつくりやすく、その辺の設定は楽だったろう。

電気が苦手という設定は踏襲して使っている。最後にモスラの幼虫がゴジラと戦い海に追い払うというパターン。この「追い払い」パターンも定番化する。

 

三大怪獣地球最大の決戦(1964)

怪獣バトルをおもしろく見せたいという思いは第2作の頃からあったのだろう。キングコング対ゴジラに人気があったのもその辺。ただ、モスララドンでは対ゴジラで良い絵が作りにくい。蛾や鳥では恐竜の重みに対抗できない(ゴジラもかなり軽く動いているけど)。そこで捻り出したのが、宇宙怪獣キングギドラ。こいつも飛行型だけれど、モスララドンに欠けていた重量感があり、しかも金ピカというインパクトあるデザイン。この映画の最重要ポイントは、キングギドラという怪獣を登場させたことだろう。オープニングでも、ゴジラモスララドンは見せるが、キングギドラは見せないところからも分かる。

ストーリーに国際紛争ネタを入れていたり、、シーンも、黒四ダム、阿蘇山と色々使っていたりして話を大きくする工夫がある。金星人という設定は当時のUFOブームに乗ったのかな。

テレビショーで延々小美人が活動するシーンがあったりして、モスラは人気があったことが伺える。ただ、それもあって主役がなんとなくモスラになっているところがある。小美人経由で人間とコンタクトできるからストーリー上はどうしてもそうなるのだろう。

見せ場的に、怪獣プロレス路線が進んでいる。それもあって人類(自衛隊側)の出番が少ない。怪獣が話しあって、協力しましょう、ということになってそれで見せ場の戦闘シーンだから。ただ、三大怪獣の会話はギャグにしか見えない。

実は、核を使う話がちょっとだけ出てくる。

 

怪獣大戦争(1965)

前作で人類側の出番が少なすぎたのを考慮したのか、地球防衛軍テイストを入れてきた。宇宙探検ものは流行だったのだろう。
レディ・ガードという防犯グッズを使った伏線は面白い。(キャラ立て、ストーリーへの巻き込みと解決策などにうまく絡ませている。)

「シェー」をしたり、ボクシングフットワークをしたりするゴジラ。重み的な表現はほぼ捨てて、観客を楽しませる方向になっている。

ゴジララドンが暴れるのが富士山をバックにしているのは、海外を意識したのか、街を作る予算がなかったからか。と思ったら、街もちゃんと壊していた。

人類側のアクションシーンのBGMにはフリゲートマーチが使われている。最後は海に落ちるパターン。

 

ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決戦(1966)

もともとキングコング用のシナリオだったというと色々腑に落ちる映画。ゴジラのところをコングにするとなるほどと感じる部分が多い。

若者のダンスコンテスト、金庫荒らし、ヨットによる太平洋横断、イタコなどが当時の雰囲気を出している(古くさくなっているとも言う)が、全体にコメディ調なので笑って見ていられる。

眠っているゴジラを雷で起こすというのと、ゴジラ対策に高電圧を使うのとが混ざっていて、もうちょっとネタ考えて欲しいかと思った。一方でエビラ避けの黄色い汁のネタをうまく使い回していて面白い。この辺の差も、もともと別の怪獣用のシナリオだった影響なのだろう。

ゴジラ登場の音楽は「ゴジラの脅威」ではなく、エレキギターの軽い旋律のもの。

 

怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967)

これはどういう狙いで作られたのか、最後までよく分からなかった。虫系(カマキリとかクモとかの怪獣が登場する)を出したかったのかな?モスラは人気あったので別のも欲しかったのかも。

人口問題を解決するために気象コントロール実験を行うのだが、兵器への転用を恐れて秘密実験にしたという設定で、孤島での事件という背景にしている。

子供を教育するゴジラというか、本編のゴジラは非常に「軽み」が強調されている。ゴジラの登場音楽も同様。

 

怪獣総進撃(1968)

折角のキングギドラをもっと活躍させる映画を作ろうとしたのだろう。それで、宇宙怪獣キングギドラを操る宇宙人(当時ウルトラブームは始まっていた)を持ってきて、地球防衛軍的な雰囲気も取り込んだ。

ストーリーとしてはメカが前面に出てきていて、怪獣はどちらかというと脇役的。そもそも「怪獣ランド」に隔離されて管理下に置かれており、動物的に扱われている。活躍の部分も、悪い意味での怪獣プロレス風味が強い。

キラアク星人の設定(高温で生きる鉱物生物)は面白かった。

 

ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃(1969)

怪獣がたくさん出てくる映画がいいが、前作の総進撃は怪獣以外が多かった。それで、子供にも分かりやすいストーリーにして怪獣をたくさんだしてサービスしたというところだろうか。娯楽映画としては否定しきれるものではないが、正直どうしてこうなった、という感想。

 

ゴジラ対ヘドラ(1971)

もうちょっとちゃんと怪獣映画にしようということで、当時話題になっていた「公害」を怪獣化した企画だったのだろう。序盤の不気味な状況が徐々に明らかになってくるくだりはなかなか面白い。ダンスクラブのシーンやカルトっぽいシーンなども当時の世相反映だし、人ごとモードで文句を言う人達や100万人活動が空振りに終わるところとかネタも皮肉が効いている。

ただ、怪獣ヘドラの映画としてきちんと仕上げられなかったのはやはり問題。ゴジラパートはボロボロで、序盤で完全に力尽きてしまっている。ゴジラの飛行シーンは、やはりギャグでしかなく、脚本破綻のゴマカシだろう。

結局、映画としてまとめられなくて、無理矢理出したゴジラも断片的なギャグ的な扱い。それが人の都合の良いように動いてくれるゴジラ、付けたり的な子供の登場といったことになってしまった。

 

地球攻撃命令 ゴジラガイガン(1972)

人気があるのはやはり怪獣が戦うシーンなので、そこをきちんと見せたいということで作られたののだろう。新怪獣のガイガンは、外見も見栄えのするゴジラ型。さらに見栄えのするキングギドラも登場させるサービスぶり。

怪獣を戦わせるのに、怪獣をコントロールするというアイディアをもう一度整理して取り込んでいる。悪役側の計画は、表向き子供や平和を謳うことで胡散臭さを演出している。

肝心の怪獣シーンは、予算的な問題もあるのかもしれないが、使い回しが気になる。ゴジラを人類側にするとゴジラのピンチのシーンを作らなくてはならなくなり、そうするとゴジラインパクトが弱くなる。そこをなんとかしようとして、吹き出しで語るゴジラとか、ゴジラの歌とかになったのだろうが、やはりギャグ路線になってしまっている。

 

ゴジラ対メガロ(1973)

今度は変身ヒーローものをゴジラに取り入れてみようという試み。そうすると変身ヒーローものの方法論が使えるようになって、前半の人間が色々とやるアクションシーンは頑張っている。

ストーリーの方は平和な地下帝国に対して人類が余計なちょっかいを出してしまうという感じ。ムー大陸が300万年前の大西洋にあって、太平洋はレムリアで、という今となっては不思議な設定だが、イースター島のモアイも出てくる。人間側がピンチになるシーンはジェットジャガー側が担当するようになっているけれど、ただその分さらにゴジラの出番が減っている。登場しても、怪獣着ぐるみプロレスの度合いが更に増している。

メガロのデザインは虫ベース。前作繋がりかな。

特撮シーンの使い回しは更に増えている印象。

 

ゴジラ対メカゴジラ(1974)

沖縄海洋博合わせで、沖縄を舞台にしたゴジラ映画をという企画だったのだろう。キングシーサーという土着の怪獣が出るのだが、敵組織が恐れるほどの強さは見せておらず、ちょっと不思議な展開。

本作の最大の発明は「メカゴジラ」。色々格好良くて、人気が出たのは分かる。

当時の沖縄の映像とか面白いし、ストーリーも比較的破綻が少なく、国際的な雰囲気(これも海洋博に合わせたのかな)も出ていて、スパイものっぽさも取り入れている。

ところで、ゴジラが電撃を浴びて強くなるシーンがあるのだが、ゴジラ電気に弱いという設定はなかったことにしたのかな?

メカゴジラの逆襲(1975)

ゴジラ第一シリーズの最終作。人気が出たメカゴジラをもう一度出そうという企画かな。ゴジラに対抗できるのはゴジラだ。

ストーリーはメロドラマ風。サイボーグ少女の悲劇(悲恋)とマッドサイエンティストものの定番ネタ(マッドサイエンティストと美少女の組み合わせとか、学会に復讐してやるとか)とかが出てくるところも面白い。子供受けとかはある程度諦めた話になっている。このマッドサイエンティスト役を初代で芹沢博士をやっていた平田昭彦が演じている。

チタノザウルスネタは、もうちょっとうまくやって欲しかったかな。もっと早いタイミングでメカゴジラに切り替えてしまって、メカゴジラをコントロールする美少女にフォーカスした方が良かったと思う。

あと、音楽。ゴジラ・タイトルが久しぶりに登場。あの曲の歌詞が「ゴジラゴジラゴジラメカゴジラ♪」になったのは、この映画で印象的に使われたからなのね。