k-takahashi's blog

個人雑記用

太平洋の巨鷲 山本五十六 用兵思想からみた真価

 

帝国海軍の将星列伝を企画すれば、明治の東郷、昭和の山本が外れることはないというのはまさにその通りだと思うが、評価それ自体は政治的思惑もあって色々と変遷してきている。1980年代には愚将論が出てくる。

では、本書はというと

軍人を、その職能、軍事の専門家としての能力から分析した研究は、日本においてはきわめて少ないのである(No.124)

という問題意識から、「軍人、用兵思想家としての山本五十六の評価」を行うという位置づけにしている。

 

無口であったこと、ギャンブルについての癖なども、人格評価ではなくそれが軍人としての職能にどういう影響があったかという点から論じている。(無口であったことは意思疎通に支障があったのではないか、ギャンブルでブラフを使いがちであったのは癖レベルだろう、といった感じ)

 

大きなポイントとなる、真珠湾作戦についてはこんな記載がある。

真珠湾作成をめぐる激論は、そのような当時の海軍式組織の欠陥、いわば戦略・作戦を策定する頭脳がふたつあるという状態の問題性が露呈した典型であった。(No.2771)

辞職をちらつかせての山本の真珠湾作戦許可請願は、まだ作戦をめぐる軍令部と連合艦隊の駆け引きの範疇に留まっているということらしい。後世のわれわれとしては、それならば、開戦そのものに対しても、司令長官の職を賭して抵抗してほしかったと言いたくなるところだが、そこまで行くと、明白に政治への介入となってしまうし、軍人の本分にもはずれる。それが、山本、さらには海軍軍人一般の認識だったのではなかろうか。
けれども、こうして、山本が決意を貫徹したからといって、軍令部と連合艦隊の二元性という問題を解消したわけではなかった。開戦後、山本の勢威が高まり、連合艦隊の発言権が大きくなるとともに、両者の乖離と対立は激化し、日本海軍の戦略に深刻な分裂をもたらすことになる。(No.2795)

軍人はどこまで口を出すべきかという話になる。作戦、軍の組織、政治決定。政治決定に軍人が介入するのは一般的には弊害の方が大きい。

組織の問題については、結局ラバウルでの戦死につながる。

山本のラバウル進出には、連合艦隊司令長官と軍令部の二元性、硬直した年功序列といった日本海軍の制度組織上の問題が露呈していたといえる。(No.3831)

 

本書での評価は、

・戦術次元については材料がない。下級指揮官時代に実戦はなかった。但し、低く評価する理由はない。

・作戦次元については、真珠湾攻撃を除けば平凡

・戦略次元については評価は跳ね上がる。「戦いをなりわいとする軍人でありながら、対米戦争必敗を唱え、その回避に努め、ひとたび、それが挫折するや、万に一つであろうと可能性を見いだせるような戦略を策定した。こうした戦略家としての山本の行動には、光彩陸離たるものがある」(No.3924)

 

条約時代から開戦に至るまでの色々な情報やその評価を説明した上での結論で、納得度は高いと思った。