k-takahashi's blog

個人雑記用

表現の自由の闘い方

表現の自由を守る」──この言葉は、とても崇高で、誰にとっても大切なことだと言わ れます。しかし、実際に表現の自由を扱う現場は、ドロドロとした感情まみれの非難の嵐のなかで、最後まで相容れないかもしれない者との血みどろの闘いを繰り広げることが多いです。だから、表現の自由を守る運動は、決して綺麗なものとは言えません。

(おわりに、より)

 

 

今年の夏に山田参議院議員が発表した一冊。発刊の理由については

❶2021年が新たな表現規制の始まりの 年であり、表現の自由の転換点となった( 特に行きすぎたジェンダー論、非実在児童ポルノと公党の公約問題)

海賊版の猛威やゲーム障害、誹謗中傷等に対する政治的対策が規制につながり、多くの日本の表現物を殺してしまう時代に入った

❸民間による新たな自主規制問題(GAFAM等海外のプラットフォーマーの自主規制 など)

(No.99)

と整理している。従来は政府による規制が行きすぎないようにということだったのだが、最近は、一部政党が表現規制を堂々と選挙公約に取り入れ始め、海賊版対策・ゲーム障害対策・誹謗中傷対策を口実に表現規制を進めようとする勢力が表面化し、民間団体による表現規制が現実の問題になってきている。そうした問題を整理している。

また、「女子差別撤廃委員会」を典型例とした国際団体からの圧力、国際団体の活動の悪用も相変わらず。本書には、「全国フェミニスト議員連盟」の例が詳しく解説されている。

 

なんらかの方法で一旦既成事実を作られてしまうと、それを足がかりに表現規制が進められる。本書には、被害が出てしまった例も食い止めた例も紹介されている。この危ない状況を踏まえて、従来の「守る」ではなく、守るために早めに動く必要が高まっており、それが「戦い」という言葉の意味するところ。

例えば2010年の「非実在」問題。一旦は条例化を阻止したものの、12月に可決されてしまう。そして有害図書指定は続いている。そして2021年に政党公約として登場する。一旦作られた条例が表現規制の道具として使われ続けている。

あるいは、戸定梨香の件。

つまり、全国フェミニスト議員連盟の主張する勧告は実在しますが、日本政府としてとしてその内容を認める事実はないということに注意しなくてはなりません。もし政府がこの勧告を何も考えずに認めていたら、あるいは姿勢を明らかにしていなかったら、全国フェミニスト議員連盟の主張が公的に正しいものと認められかねませんでした。そうなると、戸定梨香の件を機にさらに抗議が激しくなり、表現の萎縮が進んでいた可能性もあります。(No.2390)

既成事実を元に表現規制を強化しようとする動きは、激しさと狡猾さを増している。

 

夏の参院選では、赤松先生は当選したものの、野党側では自由派はあまり勢力を伸ばせなかった。自力のある先生が二人いる自民党参院はともかく、他の部分はまだまだ気が抜けない。