k-takahashi's blog

個人雑記用

再帰的公共性と動物的公共性

NHKブックス別巻 思想地図 vol.2 特集・ジェネレーション

NHKブックス別巻 思想地図 vol.2 特集・ジェネレーション

 この辺に深い興味があるわけではないので、読んだのは掲題の座談会と鈴木健氏の「ゲームプレイ・ワーキング」のみ。


 過剰なプライバシー主張に対する反動という側面とか、いわゆる「絶対計算*1」とかに触れて欲しかったなと思った。


 主題は「アーキテクチャをどう扱うか」というところで、ある種の「アーキテクチャ」に対してそれらを「自然環境」のように、所与のもの、変更できないもの、と捉えてしまうようになるのではないか、といった議論がされている。なので、それらを自分の手によって「よりよく」しようとは思わずに、活動するとなると「いま、ここに、理想郷を」となってしまう。
 おそらく、その「自分の手に」という努力をする動機付けとして「自由」とか「主体」とかいった「幻想」が必要ということになるのだろう。


 「国家」という怪物を制御するための方法論開発の過程で「主体」という幻想が作られたのだとしたら、「グーグル」という怪物を制御するための方法論開発の過程で作られる幻想は何になるのか、ということかもしれない。その解の一つは「中国共産党」なのだが、さすがにこれは敗北主義と同等だろうなあ。


 選挙権の話も面白かった。近現代国家を支える理念の一つが「一人ひとり同じ個人であり、主体性がある。それが基底だ」という信憑。それは「平等な参政権」に象徴されている。ところが現代では、部分的にしか主体性が発揮できなくなっており*2、平等に一人一票という根拠が怪しくなっている。
 そこから、部分的な投票権とか、一人一票制を支える一人一兵制*3とか、の話になる。
 部分的な投票権をどう決めるかというと、内容ではなく関係(メタデータと書いてある)を元に計算すればいいのではないか、それってリンクベースのページランクと同じだよね、とか。(で、それはグーグルじゃないか、となる。そうなると、国家という怪物を制御する方法論はグーグルに行き着くのかもしれない。)

*1:その数学が戦略を決める

*2:それをテクノロジーを使って無理矢理全体的主体性の実現をしてしまうのが、レナルズのSF『啓示空間シリーズ』に出てくる「無政府民主主義者」

*3:在日韓国人が平気で日本の参政権を要求できるのは、日本に徴兵制が無いからという考え方もあるそうだ。