k-takahashi's blog

個人雑記用

占守島、ソ連侵攻で多数の犠牲者

週末の日経に占守島の記事が出ていた。

占守(シュムシュ)島。1945年8月18日、ソ連軍と日本軍守備隊が衝突した。双方で3千人以上が死傷したとされるが、今も正確な経過は分からない。島には遺骨が取り残されている。

降伏後の戦争 占守島、ソ連侵攻で多数の犠牲者 :日本経済新聞

ソ連(ロシア)が、終戦間近に不可侵条約を破棄して攻撃を開始、8月15日の停戦を無視して侵略を続けた。(ソ連(ロシア)が終戦を8月15日ではなく9月4日と主張しているのは、この侵略を正当化するため。中国もこれに同調している。)
ソ連(ロシア)が占守島に上陸したのが70年前の8月17日。約1週間の戦いでは千人以上の犠牲者が出たと言われる。
以前、占守島攻防記*1という本を読んだが、戦闘の推移などについて詳細は分かっていないということだった。上記記事を見ると、それは今も同じようだ。


資料がはっきりしないこともあって、守備隊の勇戦の全体的な位置づけ(ソ連の北海道侵略の意図にどの程度影響を与えたのか)は議論が分かれているが、最初から抗戦せずに降伏していても大半がシベリアで殺されていただろうから、抵抗して時間を稼いだこと自体は妥当としか言いようがない。
もっと早く米軍が来ているか、オホーツクに大嵐でも来てくれていれば避けることができた戦いだったのかもしれない。

*1:

8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記

8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記