k-takahashi's blog

個人雑記用

天皇陛下の私生活

天皇陛下の私生活:1945年の昭和天皇

天皇陛下の私生活:1945年の昭和天皇

終戦前後の昭和天皇についてはすでに数多くの著作がありますが、天皇の日常生活に焦点をあわせたノンフィクションは、私が知る限り、ありません。(まえがき、より)

昭和天皇の生涯の中で最も特別な1年を取り上げるということです。理由は2つ有ります。
第一に、昭和20年は昭和天皇にとって特別な1年であるばかりでなく、皇室にとっても極めて重要な1年だからです。皇室存亡の瀬戸際まで追い詰められた状況の中でも変わらないものがある。それこそが皇室の皇室たるゆえんです。それが一体何なのか、炙りだしてゆきたい。
第二に、この期間の史料が充実しているからです。終戦前後のごく一時期のみ、御文庫という本来は私生活の空間のなかで、重臣達の拝謁などの公務が行われたために、史料の中に天皇の暮らしぶりが滲み出してしまっているのです。
(まえがき、より)


まず、食事。当時の皇居は役所でもあったわけで、それなりに人数が多い。でも段々食糧事情が悪化してきている。また、儀式用の食事も質素なものになっている。さすがに皇族の方々が飢えるようなことはなかったし、もともと質素な暮らし向きだったとはいえ、大変な状態だった。

主食は配給の米に丸麦や外米を混ぜたものを日に1食だけ。他の2回はうどん、そば、すいとん、代用パン、さつまいも、馬鈴薯などでしのいだ。代用パンには大豆、とうもろこし、乾燥野菜などが混じっていたのでやや黒ずんでいる。魚は以前のたい、ぶり、かつおなどに替わって、配給のすけとうだら、いわし、さば、さんまの類が常連となり、それでもあれば良い方だった野菜は乾燥野菜の備蓄を取り崩して使用した。(p.39)

で、軍部には食糧が大量にあったと恨めしそうに書いてあったりする。


あとは、やはり面白いのは風呂とトイレ。天皇陛下用と皇后陛下用は別々にしてあったそうで、狭い御文庫でもさすがにここは妥協できなかった。その理由の一つが、毎日侍医が検分していたからではないか、としている。
風呂については、一人で入っていた(明治天皇の頃は女官3人がお世話したという)のに、細かいしきたり(上半身と下半身をまぜこぜにしてはいけないややこしいしきたりがあった)を守ろうとしたせいか、かなりメチャクチャだったらしい。もっとも、戦後の御巡幸のときは喜んで湯船につかったというから、実はしきたりを守ろうとするくせに面倒くさがりやだったのではないか、という説も。