k-takahashi's blog

個人雑記用

コスティキャンのゲーム論と美少女ゲー

 和訳はこちら
話としては、11日の話の続き。

 目次にはこんなことが書かれている。

  • そもそも「ゲーム」とは何なのか?
    • 「ゲーム」は、パズルではない →「パズル」は静的であり、「ゲーム」はインタラクティブである。
    • 「ゲーム」は、玩具ではない「玩具」もインタラクティブだが、「ゲーム」はそれに加えて 「目標」を持つ。
    • 「ゲーム」は、ストーリーではない →「ストーリー」は直線的である。「ゲーム」はそうではない。
    • 「ゲーム」には、参加者が必要である →伝統的な芸術形態は、受身の聴衆に対して与えられる。ゲームは、積極的な参加者を求める
  • それで「ゲーム」とは結局のところ何なのか?
    • 意志決定
    • 目標
    • 障害物
    • 資源管理
    • ゲームトーク
    • 情報

 これを、いわゆる美少女ゲーに当てはめると、「静的」だが「目標はあり」「直線的ではない」。これだと結構ゲームと言っても支障がないように思う。そして、後半についても、意志決定はある、目標はある、障害物も一応ある、資源管理やゲームトークンはほとんどない、情報はある。

 となると、「参加者」がポイントになってきそうだ。ここまで話を進めれば、一旦保留した「コミュニティ論」を持ってきても大丈夫だろう。そして、確かに、コミュニティ論の文脈で言えば、プレイヤーは明確に参加者であって、コミュニティ参加を前提にすれば、美少女ゲーをゲームのカテゴリーに入れても問題なさそうだ。
一応、これはこれで一つの結論。*1


 じゃあ、「マルチエンディング」は何だ? というのが続きかな。

*1:ひぐらし」のゲーム性は全然違うところにある、というのはいいよね?