k-takahashi's blog

個人雑記用

幼年期の終わり

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)

 訃報を聞いて買ったのだが、なんとなく読むのが後回しになっていた。
代表作だらけのクラークですが、日本で人気のある長編は、これとダイアスパーと茶筒、エレベータかな。

本書は、1989年に改稿されたものを新訳としておこしたもの。もっとも改稿と言っても導入部分を修正して、時間を30年後ろにズラしただけ。展開の核心部分は変わっていない。


 読むのはかなり久しぶりなのだが、確かに前回読んだときとは読み方が変わったのは分かった。ストーリーを知っているからということもあるだろうが、自分の視点の落ち着き先は、ストルムグレンやジャンではなくカレルレン(本書ではカレラン)の側になっていた。ラストのカレランの姿には特に。そして、幼年期の終わりを目撃するジャンともうそれを目にすることもないクラークの対比もちらちらと頭の中に残っていた。

 あとは、博物館の描写からラストに至る描写のビジュアルもいいですねえ。「人類飼育テーマ」が、こういう作品に仕上がってしまうところが、王道SFの凄さとも言える。


 ところで、オーヴァーロードにより豊かで平和な世界がもたらされたことに対して、こんな主張をする人が出てくる。

手軽な娯楽が多すぎるからです。ご存知ですか。一日に五百時間分の番組がラジオやテレビから垂れ流されているとか。いっさい眠らずに一日二十四時間それだけに費やしたとしても、スイッチ一つで手に入る娯楽の二十分の一も視聴できないということですよ! 人間が受け身なスポンジに、吸収するだけで、何も生み出さないスポンジに成り下がろうとしているのも不思議はありません。 (p.273)

そして、彼らはアテネに独自の文化コロニーを作る。

ここアテネ島では、娯楽はあくまでも娯楽という位置づけです。更に言えば、全てがライブですよ。録音や録画は一つもない。(p.273)

こうした理想のもとに作られ、成果を上げていたアテネ。クラークは、このアテネに住む一家族に焦点をあてて、幼年期の終わりの人類への衝撃を描写していくのだが、上記部分が今のウェブに重なって見えるのがなんとも面白かった。
 ウェブ化だライブだ、とかって、カレルレンの立場から見ても、人類進化の視点から見ても、実は小さいことなのかもしれない。