k-takahashi's blog

個人雑記用

ジャーナリズム崩壊

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

組織としての関心は、読者は視聴者ではなく、社内の人間関係、及び政治家など権力者達に向けられる。それが状態となり、やがて当然の「常識」となっていくのだ。(p.7)

ブログなど、インターネットの発達によって、既存のメディアは変化を余儀なくされている。これまでは手段を持たなかった一般の人々が、自分のメディアを所持することで、マスコミへの対抗手段として使い始めたのだ。(p.52)

いつもは他者の批判記事を書いている割には、自身や自身の組織にその矛先が及ぶとヒステリックに反応し、言論機関であるにも関わらず正々堂々と原論で勝負するのではなく、知己の幹部などに相談し、上層部からの圧力によって、その批判を止めさせようとする。(p.61)

現在の日本にあって、新聞記者ほど、他人のミスに厳しく、逆に自分の過ちに甘い種族はいないのではないかと思う。ミスを犯すことが悪いのではない。間違いを犯したときにその間違いを認めない姿勢が悪いと言いたいのだ。(p.201)

 これは、毎日変態新聞問題を批判している本ではない。7月の発行だから、問題が表面化する前に書かれた本である。だからこそ、毎日変態新聞問題が特殊な問題ではないこと、その本質がウェブの問題ですらないことがわかる。


 実際には、記者クラブ制を主な批判対象とした内向き体質批判を行っている一冊です。毎日変態新聞問題が表面化する前に書かれた本なせいか、本書内では毎日は結構よいしょされています。ウェブからの批判には耳を傾けにくい毎日上層部の人は、本書をまず読むといいのかもしれない。本書の方がまだしも受け入れやすいだろうし、そこを直すだけでもかなり改善はされるだろうから。


 もっとも、著者は、「権力に対する監視こそがジャーナリズムの役割」と書いてみたり、匿名に対して批判的だったりと、古いタイプのジャーナリストであり、プロフェッショナリズムをやや踏み越えた選民意識的なものを、読んでいて私は感じた。著者がさかんに持ち上げるニューヨークタイムズにしたところで、ノリミツ・オオニシの業績を知っている我々からすれば、「日本のマスゴミよりはましだろうけどね」という程度でしかない。
 もちろん、古いタイプだろうとなんだろうと、仕事をきちんとやっているのであれば批判するようなものではないですし、著者の書く記事の妥当性は、それはそれで議論すればよいだけの話。


 ところで、本書中に、日本に赴任する記者がまず親しくなるのは同業者である記者だと書かれている。そして、その「記者」があまりに酷いことに愕然とし、日本嫌いになってしまう、というエピソードが紹介されている。オオニシみたいなのが、ニューヨークタイムズで受ける背景にはそういう問題もあるのかもしれない。
 一方、ニコラス・クリストフというニューヨークタイムズの記者が書いた本の中に

日本の女性の中には、過激な性描写のレディスコミックを読み漁って、レイプされることを望んでいる者がいる。彼女たちの一部は、電車で痴漢に遭っても無抵抗であり、その痴漢と結婚する女性もいる。(p.91)

というのがあるそうだ。「中には」とか「一部は」とか批判をかわす工夫をしているし、「インタビューした人物がそう語ったのは事実だ」とか言っているけれど、日本を紹介するという文脈でこういうことを平気で書いてしまうんですね、ニューヨークタイムズの記者は。