k-takahashi's blog

個人雑記用

ゴーギャン展

 明日までのゴーギャン展にぎりぎりながら鑑賞に出かける。
美術館前到着が開場30分前の9時半頃。すでに50人以上の人が入場列、切符購入列に並んでいる。予想していたとは言え混んでいる。


 今回の展覧会はゴーギャンのみ。約50点の絵画、版画、彫刻を集め、制作年代順に並べている。大きく3つに区切られており、タヒチに行く前(〜1991年)、タヒチ〜パリ(〜1890年)、末期(1891年〜1903年)の3つ。


 最初は、印象派風の絵画から始まるが、次第に色使いや線がいわゆるゴーギャン風になっていく。(1888年のアルルあたりから)


 第1回タヒチ滞在期間中の作品は、自画像も含め人物画のタッチが、同時に展示されていた石膏像から受けるイメージにそっくり。一方、パリに戻ってから作成した版画集は、自分で刷ったものと別の人が刷ったものとが全然イメージが異なっており、同じ版から起こしたとは思えないような違いを出していた。特に、「死霊が見ている」の4作の対称ぶりは印象深かった。


 そして、例の「我々は〜」。これは、なにやら嫌な雰囲気を醸し出していました。今回の目玉展示ということもあり、絵のすぐ前は立ち止まらずに通る通路、少し離れた場所からはじっくりと見られる、という案配になっていたので両方から見てみたのですが、近くから見るとなんだかよく分からない、という印象。これは、照明の角度のせいもあったのかもしれない。一方離れてみると、これが全体から非常に重苦しい雰囲気を出している。特に、背景の月の女神「ヒナ」の青とか、運命について語る二人組の黒とか、あとは両上隅の作品名と署名の黄色とか。物販エリアに飾られていた模写からはそういう雰囲気は感じられなかったので、色合いとか照明の具合とかのせいだろうけれど、「これを描いたら、たしかに最後だよな」という変な納得をしてしまった。


 展示を見ていたのは1時間弱だったと思うが、見終わった頃にはかなりぐったり。美術館全体が「作品保護のため」として温度が低めになっていたのだが、それはエアコンのせいではなく、絵から冷気が流れ出しているからではないか、と本気で思ってました。