k-takahashi's blog

個人雑記用

野獣げぇまぁ その16

 例によって、コマンドに挟まれていた徳岡氏のコラム。
シミュレーションゲームは何をシミュレートしているのか、というのはSLGの根本問題の一つだが、徳岡氏は、軍事シミュレーションには、客観的なシミュレーション(スーパーコンで実現される数値計算シミュレーションなど)と、当事者が感じた内容を再現する主観的なシミュレーションとの2つの側面があることを指摘する。そして、この2つは容易には融合しないのである。

 ある程度スケールを上げれば、盤上のデータと歴史上の人物が向き合ったであろうデータの一致度が上がる。そう思うなら、それも間違いだ。ある程度スケールを上げれば、今度は歴史上の人物が向き合った社会的状況も視野に入れねばならなくなる。党内の派閥構造や国民の感情、エトセトラ、エトセトラ。そしてこういった問題に対して、現実には人々は分業体制で対応していて、ゲームのようにそこで決定権限が完壁に一極集中したりはしない。

その上で、

 客観的シミュレーションの精度を上げただけでは、そこに正しい戦場が出現するわけではないというのは、SPIの歴史が証明している。SGの本当の美点は、主観的シミュレーションを(ときに高度な競技性を伴いながら)高いレベルで実現している点であることを、我々は既に知っているのだ。
 優れたSGの盤面に広がるユニットやマーカーといった類のものは、ある程度までは戦場を科学的にシミュレートしているが、何よりも「その戦闘を戦った指揮官の心理」を主観的にシミュレートする。そのために、省略や抽象化といった技法が縦横に使われることを、むしろ使われるべきであるということをSGの長い歴史は示している。

とする。


 もちろん、どのレベルで省略や抽象化を行うかという課題はあるが、2つの側面があることを意識すべきだ、と結んでいる。
近い将来、MMOの技法を用いた巨大SLGがネットワーク上で実現するだろうが、それはこの課題をどう扱うのか。楽しみ。