k-takahashi's blog

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阪神大震災 自衛隊かく戦えり

阪神大震災 自衛隊かく戦えり

阪神大震災 自衛隊かく戦えり

 震災の翌年、平成8年4月に発売された一冊。著者の松島悠佐氏は当時の中部方面総監。


 前半は、時刻を明示して書かれた活動状況記録と派遣された隊員達の報告からの抜粋。後半は、問題点の総括。
「もしも」「もしも」が出てくる部分には、「もっとうまくできたはずだ」との思いが溢れている。もちろん、それでもできなかったことは多い(そもそも、被災直後にどんなに頑張ったところで何万人もの自衛官を派遣できるはずはないのだ)が、それにしてもというところだろう。 
一番問題なのは、自衛隊に何ができて何ができないかについて自治体側が知らなすぎたということ。それでどれほど困ったかということも本書には繰り返し繰り返し語られている。


 当時から強く批判されたことに行政側からの要請遅れがあったが、それに対してはこう言っている。

阪神・淡路大震災において県知事の災害派遣要請が遅かったとの指摘があったが、1〜2時間程度の遅れよりも、本当は要請をうけて出動したあとでも、県と自衛隊との連携がなかなか取れなかった点を問題点として認識しておく必要がある。(p.182)

自衛隊だけで災害対応ができるわけではない、という当たり前の話。


 今でも、自衛隊ではなく災害対応専用組織をという話が出てくるが、それに対しては

最近、二千〜三千人の災害対処専門部隊を創設して即応体制をとらせておく意見や、PKO専従の部隊を自衛隊とは別組織で編成しておく意見などが聞かれるが、部隊の組織力を発揮させるには実働部隊だけでは無理であり、それを支える教育訓練・補給整備・人員補充などの支援体制があって初めて力を発揮できるものである。
 自衛隊とは別組織で二千〜三千人の部隊を維持するためには、その四〜五倍の人員がいないと力が発揮できないだろう。被災地で陸上自衛隊が一万六千名の体制で組織的に動くことができたと言うことは、その後盾に全陸上自衛隊が控えていたからだと言うことを理解するべきであろう。(pp.174-175)

ということで、本書内ではヘリの稼働維持を例にあげていた。


 本書が書かれたのは被災の翌年。被災当時の一部の連中の無理解ぶりを示す事例として著者はこんな例を紹介している。

特に神戸市の東灘区では自衛隊から派遣された連絡員の積極的な提案にたいし「まるで戒厳令じゃないか」という自治労の職員もいて、せっかくの申し入れもできなくなってしまったこともあった。その結果がせっかく全国各地から届けられた食糧が野積みのままで腐ってしまったり、一部の避難所に水や食糧が届かなかったりという状況になってしまった。救援活動に総力をあげなくえればならないときにまで、自治労の人達がイデオロギーを主張して対応行動を遅らせてしまうのは、被災者不在の救援活動ではないかという感じがしていた。(p.186)

もちろん、今は大幅に改善はしたのであるが、10年以上たった2007年に社民党阿部知子が妄言を吐いている。

阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経て後のことであった

メッセージ

自衛隊がどのように活動し、震災の教訓として何が行政側に課せられたのか、被災翌年に提示されていた課題すら全く理解していないのがよくわかる。残念ながらまだまだ本書を歴史書にすることはできないようだ。