k-takahashi's blog

個人雑記用

二人で少年漫画ばかり描いてきた

 1975年〜1976年に我孫子先生が雑誌に書いたエッセイに、藤本先生のコラムなどを加えて1977年に刊行された本の復刻版。
昔一度図書館で借りて読んだことがあったのだが、復刊に合わせて再購入。


 漫画と絵物語の比較で、昭和20年代後半の時点では、絵物語の方が表現力が高かったが、むしろ漫画の側が不自由さを克服すべく挑戦を続け、それがコマ取りの発展という形でエネルギーを持ち、ついには絵物語が無くなってしまった、という見方は面白い。(p.56)

 また、有名な「原稿おとしまくり」(昭和31年。帰省したときに気が緩み、当時依頼されていた原稿の殆どを落としてしまった事件)のときの写真も掲載されている。そんなもの撮っておくあたり、内心「なんとかなる」と思っていたのかも、というところが伺える。


 本書の最後は、青年コミック誌への作品掲載が増えていた藤子先生に対して届いたファンレターのエピソード。

ぼくはオバQから先生のファンです。オバQパーマン21エモンモジャ公などみんなすきです。
いまは『どらえもん』のファンです。ぼくの弟のとっている小学二年生をとりあげて、ぼくがさきに『ドラえもん』をみるのでいつもケンカになります。
ぼくは大きくなったら先生のようなマンガ家になろうとおもっています。でも先生はこのごろなぜ少年雑誌にマンガをかかないのですか。ぼくはさびしいです。これからは少年雑誌にまた、たくさんおもしろいマンガをかいてください。(pp.260-261)

「どらえもん」という表記が今となっては興味深い。(本文中も「どらえもん」と書かれている)
 まんが道の「あすなろ編」が1970年〜1972年、「立志編、青雲編」が1977年〜1982年、なので、本書の執筆期間は両作品の間に位置することになる。まんが道と違って本書は普通にエッセイなので、記憶違いはあっても意図したフィクションは入っていないはず。
ドラえもんブレイク直前(1977年に「子供マンガ」にこだわったコロコロコミックが創刊される)という時期に書かれたと考えると、本書の面白も増してくる。