- 作者: チベット亡命政府情報国際関係省,有本香
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2010/04/27
- メディア: 単行本
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まだまだ、中国側によって都合良く歪曲された「チベット情報」が、日本人に流され定着しているという残念な場面もございます。
(中略)
中国政府が、執拗に、「チベットは中国の一部であった」と主張していることに対し、チベット亡命政府は幾度となく反論をしてまいりましたが、その議論を最も端的に示しているのが、本書の原著である『A 60-POINT COMMENTARY − 60の反証」です。
このたび、従来チベット問題について多くの記事や著書を書いてこられた有本香氏のご尽力により、道書の日本語版が刊行され、チベットの歴史に関する我々の見解と中国側との主張の隔たりが多くの日本人の前にさらされる機会ができましたことは、たいへん意義あることと感じています。(pp.2-3)
本来ならば、批判対象である中共のプロパガンダ本も合わせて読むべきなのだろうが、とりあえずこちらをざっと読んでみた。
手口自体はよくあるもので、強引な解釈、切り貼り、重要な文献の無視、信頼度の低い文献の強調、そして捏造など。
例えば、
1912年8月12日(3条)、1912年12月14日(9条)に締結された。
これに基づき、ラサに駐留していた清朝の官吏と部隊は、チベット政府から食糧や馬などの物資供給と警護を受け、インド経由で中国へ送還された。カム地域に分遣されていた清王朝の部隊については、チベットのケドン・ジャンパ・テンダール将軍が徐々に撤退した。清王朝とチベットとの関係はこうして決定的な終末を迎えたのである。
しかし、これほど歴史的に意義在る事態について『西藏歴史檔案薈粹』の中では一行たりとも触れられていない。(p.145)
このチベット側の代表団は各自の印鑑を携帯して北京に向かったが、協定の文言に不満であった彼らは、印鑑を持っていないなどと言って署名を渋っていた。すると中国側は、北京で彼らの印鑑の複製を勝手に作り、協定書面に押印してしまったのだ。
また、中国人はチベット語の文字を書くことには不慣れなためであろう、協定書面上のニセの押印に重ねられて書かれているサムポ・テンジン・トゥンドゥプの名前の綴りが間違っている。(p.235)
本書にも書かれているとおり、中共のチベット侵略問題についてはチベットにも原因の一端があった面もあるし、そもそもこの反論が正しいかどうかの検証も研究が必要だろう。ただ、そういう研究の最大の妨害者が中共であることもまた事実。
チベットは今のところは、こうして反論書を発表できている。しかし、ウィグル地域からはそういう反論の発表すらできていない。南シナ海、東シナ海、台湾、そして沖縄、日本への侵略も同様の手口で行われ、同様のプロパガンダが行われるのだろう。
訳者解説の部分から一つ引用。
本書の原文では、「China(チャイナ)」という言葉と「Zhung Guo(中国)」という二つの言葉は明確に書き分けられているが、これを現代の日本語に訳すといずれも「中国」となってしまう。日本語が、漢字を共有していることの因果でもある。
今日の中華人民共和国による「中国」なる言葉の拡大解釈の素地作りに、実は日本人が一役買っていたかもしれない。このことをも今一度見つめ直したいところである。(p.40)
日本古典では、中国は「葦原中国」、文字通り国の中心のことだものね。