k-takahashi's blog

個人雑記用

医療とコミュニケーション

レジデント初期研修用資料 医療とコミュニケーションについて

レジデント初期研修用資料 医療とコミュニケーションについて

ブログ「レジデント初期研修用資料」のmedtoolzさんが先日出した本。
病院、治療の現場でのコミュニケーションとは何か、どのようなコミュニケーショントラブルが発生するのか、どう対応すればいいのかを解説している一冊。タイトルからは医療従事者向けの本のように見えるが、専門的な内容に関わるビジネス全般に適用できると思う。


まず、本書で扱う「コミュニケーション」について、著者はこう定める。

  • 正義を達成するための手段ではありません
  • 相手をたたきのめす手段ではありません
  • 見解の一致を目標にしません

(pp.2-3)


そして、一番大事なことは「事実の改変を防ぐ」ことだとする。なぜならば

共有されていたはずの事実が相手によって削除されたり、あるいはそこに「新しい事実」が付け加えられたりしてしまうと、見解は崩れ、コントロールは失われ、合意の努力は無駄になってしまいます。(p.4)

なので、

共有された事実に対する改変に注意を払い、それを禁止することも、同じぐらいに大切なことになります。(p.4)

以後は、色々な状況、状況のとらえ方、対応案、と繋がっていく。


一つ面白いと思ったのが「会話タグ」

名前を名乗ったら、その後にこれから話す内容の「タグ」を宣言して貰う。これで案外うまく物事が回る。(p.63)

電子メールのサブジェクトにタグを付けたり、フォーマットを固定したりするようなものですね。



ものの言い方、という点で興味深い指摘がこれ。

ネット上でずっと日記を書いていて、一定以上の人気を保っている人たちは、事実と判断とを上手に切り分ける。事実はあくまでも事実、自分の体験したことは、体験したこととして記述して、それに対して、「私はこう思う」という判断を追記する。観測した事実と、それに対する個人の判断とが分かれているから、刺激的なことを描いても、突っ込みどころを少なくできる。(p.71)

切り分けが大事だという指摘。前述の「事実を共有する」というところに通ずる。そして事実を共有していれば、見解の違いはなんとかなるということ。


方法論として面白かったのがこれ。

現場の仕事から創造性が消えるから、おそらくみんな反対するだろうけれど、「創造」の余地が無くなれば、そこからミスが創造されることもなくなる。(p.95)

もちろん、創造しなければ対応できな事態はあるはずだ。だが、それ以外のところで、とにかくミスを減らすのが目的だというなら、「創造」できなくするというのは一法だ。


本書の後半はトラブル対応。まず「謝罪」についてこんな記載がある。

謝罪は単なる道具
「相手の理解が足りないから文句を言われた」のなら、それは理解の足りない相手を想定した対応ができなかった自分の非であって、だからこそ謝らないといけない。(p.137)

ここを理解せず、「謝罪=全部自分が悪い」と勘違いすると、謝罪ができなくなり、問題がさらにこじれることになるわけだ。


さて、ある意味本書の白眉ともいうべきところが終盤の「訴訟対策」。
ここが面白い。


善意も協力の意志も通じない、医療訴訟の場を

自分達に不利に設定された、複雑な言葉のゲーム(p.195)

とみなさなくてはならないそうだ。


そして、弁護士の誘導尋問テクニックの実例がたくさん載っている。

・教育的な質問
 例:「胸痛、息切れ、頻脈を生じている患者さんがいます。何を考えますか?」
 原告側弁護士が、このように、答えをあらかじめ想定した、何かを「教育」するような質問をするときには、医師の側に、より広範囲の責任を認めさせようと意図している。

・否定を含む質問
 例:「その薬を処方しないのは、どういう状況になった場合ですか?」
 このような否定を含む質問は、あとから議事録に起こして、医師に不利な証拠を収穫するために行われる。

口先で人を陥れるテクニックがずらずらと並んでいて、読んでいて不快になること間違いなし。それでも、「こういうことがある」と知っておくだけでだいぶ違うのだろうと思う。
本書は医療訴訟を題材にしているけれど、似たような「テクニック」を使う連中は、大きな組織ともなればそれなりにいる。そして、本書が指摘するように、そういう場でのコミュニケーションは、普通の建設的コミュニケーションとは全く別物なのである。このことは指摘されない限り自分では気がつかないと思う。


本書は医療コミュニケーションの本ということになっているが、もう少し広くビジネスや人間関係、社会対応のテキストとして扱うことができる。
時事ネタで具体的に言えば「フクシマ事故」である。
突発事故で患者(フクシマ原発)の容態が悪化。時間もなく、取れる手段も限られている状況でなんとか対応しなくてはならない。そして、患者の親族やら、マスコミやらがやってきて騒ぎ立てる。患者の治療よりも医者(東電)を叩くことが目的の人や、患者が死んでくれた方が利益になる人(運動家)が、治療ミスだ、準備不足だ、責任追及だと騒ぎ立てる。と見れば、かなり類似点は多い。
そして、本書的な視点からみると、東電の対応には反省すべき点が多いというのも。