- 作者: 櫻田淳
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/01
- メディア: 単行本
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政治的立場としての「保守」とは何か、について著者が歴史的経緯と自らの信ずるところを著したもの。保守とは何かという説明と、代表的な5人の保守政治家(ドゴール、チャーチル、レーガン、吉田茂、アデナウアー)がどのように「保守的であった」のかを解説している。彼らの言動は単純に比較すると逆になっているものすらある。それでも彼らが「保守的」とされるのは、保守がイデオロギーではなく「作法」だ、ということの現れなのだろう。
元々は自民党の機関誌の連載で、それを一冊にまとめている。そのため似た話が何度か繰り返されており、冗長といえば冗長だが、読みやすさという点ではプラスになっていると思う。
同じ櫻田氏の著作を以前読んだことがあり、何というか、しんどい立場だなと思った。
本書は発表媒体の関係でそこまでしんどくはないが、それでも、勇ましくもなければ、楽でもないという点では同じ立場である。
常識?
書名にある「常識」という言葉だが、これは「みんなが知っている」という意味よりは、「共通理解点」「立脚点」という方が近い。
「常識となって欲しい」くらいの意味合いなのだと思う。
保守主義とは?
曰く、
保守主義というのは、ナショナリズムや現状維持主義や観念論ではない。
保守主義というのは、開放性と自由主義、現実主義、国民への信頼、に基づく。
保守主義というのは、状況に適応した現実訂正策を打ち出すことである。
という立場になり、自由、統合、寛容、中庸、蓄積、といったものが保守の美徳とされる。
これらが分かりにくいのはある意味で仕方がない。
歴史や伝統への経緯は保守として当然のことであるが、それと現状維持主義との違いは何か?
保守派が標榜する自由とは伝統とどのように折り合うのか?
そういったことの説明を短時間で済ませるのは困難だ。
わかりやすさという点では、著者が「保守ではない」とするものから見る方が良さそうだ
例えば、「○○さえすれば(倒せば)全て解決する」といったようなやりかた、それは革命の論理であって保守の論理ではない。
あるいは、偏狭や分裂は保守の目指すところではない。それは自由や中庸といった保守の美徳に反する行為である。
旧いものに対する執着は保守ではない。執着は、他者への偏狭を生じさせ、それは中庸と寛容を失う行為だからである。
こういったところ。
引用を幾つか
保守党は、「包容力に富む政党」であった。そこでは、多様な議論が披露され、意見の相違を調整する「合意の政治学」が模索される。他の人々を「白か黒か」で峻別し、あるいは異論を排除したり屈服させたりといった流儀は、この「合意の政治学」の趣旨に合わない。
(p.73)
革命の論理を否定。
世の人々が政治に対して期待するのは、「花」(威信、声望、正義)に職えられる「名誉価値」ではなく、「団子」(福祉、実利、安全)に職えられる「福祉価値」の実現である。
戦後、保革対立の構図の中で自民党が一貫して優位を保った所以は、こうした世の人々の期待には概ね十全に応えてきたからである。
(p.75)
現実主義という見方。
日本の民族主義者の中には、自国の「成功」だけに眼を向け、その「失敗」の歳月への凝視を厭おうという姿勢を示す向きがあるけれども、そうした姿勢は、日本史における豊鏡な時間の価値を半減させるものであろう。自らの「成功」に自信を持っても嬬慢に走らず、自らの「失敗」を肝に銘じても卑屈に堕ちず。そうした歴史への相対の仕方を支えるのも、「中庸」の美徳が求める姿勢であろう。
(p.82)
保守は国粋主義ではない。
明治以降に帝国を樹立し破綻させた経験を持つ日本もまた、英国の軌跡を踏まえて、成功と失敗の両面を持つ自らの経験の蓄積に曇りなき眼を向けるべきであろう。そして、「経験の蓄積」への尊重こそ、保守主義の精神の証なのである。
(p.147)
失敗もまた敬意を持って扱うべき伝統。
保守主義の精神は、しばしば、「国家の尊重」や「民族への愛着」といった言葉と重ね合わせて語られる。ただし、「国家の尊重」や「民族への愛着」といった類の言葉を一種の「観念」として大上段に振りかざすことは、保守主義の趣旨には沿わない。保守主義の文脈で問われるべきことは、多くの人々の普段の判断や活動に、どれだけの「信頼」を寄せられるかということであり、その判断や活動の「蓄積」の意義に対して、どれだけ「楽観主義」の姿勢で臨めるかということである。
(p.189)
保守はイデオロギーではない。
人間の社会において「平等」の価値を過度に追求しようとすれば、社会における「多様性」が損なわれる。保守主義思潮が「自由」を擁護しても「平等」を警戒する所以は、その「多様性」の尊重にこそある。
そして、こうした「平等主義」の志向は、実は民主主義体制の基盤を侵食する。
(p.224)
平等と自由と多様性の位置づけ。