k-takahashi's blog

個人雑記用

知覚と行為の認知言語学

人間が周りの世界をどのように経験しているか、それが言語にどのように表れているかを見ていくことで、世界が自分や言葉とどうつながっているかが広がりを持って見えてくる
(帯、より)

言語表現の前には、話者により世界の知覚がある。その知覚の仕方が言語表現に表れる。だから言語表現を詳細に検討することで、世界の知覚の仕方が分かってくる、というような話。
同じ著者の『アフォーダンスの認知意味論』*1をベースにした入門書的な位置づけの本になるそうだが、そちらは専門書なので読むのも大変だし高い。こちらは、難易度もお値段もお手頃。


なので、個々の事例がどのような意味を持つのかを、本を読みながら味わっていくというのが正しい読み方なんだと思う。
ということで、内容ではなく、トピックの紹介で。

(4)
a. 男は部屋のドアを開けて、なかに消えた。
b. ドアが開いて、男が入ってきた。
これらの文には、話し手を表す「私」は出てきません。でも、二つが同じ出来事を述べた文だとするならば、話し手がどこから出来事をみているか、だいたい分かります。(p.7)


はやぶさが宇宙から帰ってきた!」 について

「宇宙ってどこ?」「地球だって宇宙のなかにあるのに、なぜ「宇宙から帰ってきた」と言えるの?
(p.43)

身体が重いのはどういう時ですか?
(p.99)

「石が重い」と「身体が重い」は何が違うのか?

椅子に座る
椅子の上に座る
椅子に立つ
椅子の上に立つ
(p.113)

これらの表現の「自然/不自然」を分けるものは何か?(「ふさわしい行為」)

新しい古文書がみつかった
(p.120)

古文書が新しいわけはない。(知る、という行為の意味)

出版社のサイトにアクセスすれば「立ち読み」ができる
(p.144)

IH調理器具の「火力」、テレビを「回す」、など。

彼は小学校時代学校を4回変わった
(p.161)

彼が通った小学校は4つか、5つか? なぜそういう曖昧性が生じるのか?(コトでモノを数える)

「やっと、坂/会議 が終わった」
(p.171)

終わるという時間の区切りの表現が、なぜ地形に適用できるのか?

「お客様」
(p.179)

お客が他の客のことを「お客様」とは呼ばない。なぜか?

比喩表現なのでは?

なお、上記のような事例は「比喩」と言えば言えるが、基本的にそういう解釈はしていない。

*1:

アフォーダンスの認知意味論―生態心理学から見た文法現象

アフォーダンスの認知意味論―生態心理学から見た文法現象