k-takahashi's blog

個人雑記用

PlayStation 公式発表20周年

昨年はファミコン30周年だったけれど、今年はプレステの20周年。
それまで、PS-Xと仮称されていた初代プレイステーションの公式発表があったのが、20年前の5月9日(1994年)。前年末あたりからリークはあったものの、正式発表はこちら。
今と違って、ウェブメディアはなかったので、翌日の新聞にちょっとだけ記事が載り、詳しい話は半月〜1か月後の雑誌で確認という、思えばのんびりした時代でした。

有名な「任天堂の裏切り」事件(1991年6月)からは3年後ということになる。


私の手元に、当時の月刊アスキー7月号の切り抜きが残っていて、ここに発表のレポートが載っている。恐竜のデモや、ゲーム画面のデモも披露されたそうだ。
当時のハイエンドパソコンを凌ぐパワーを持つマシンを5万円で提供するという無茶苦茶なものでした。(この発表時点では価格は5万円以下とされていた。実際には3万9800円)


記事中には、ナムコの「リッジレーサー」「サイバースレッド」「スターブレード」、アートディンクのゲーム(後の「アクアノートの休日」)、SCEの「ORA-194」(後の「フィロソマ」)「ポリポリサーカスグランプリ」(後の「モータートゥーングランプリ」)の写真も載っている。(会場では、もっとたくさん出ていたらしいけれど、この記事にはあまり載っていない。)
とにかく、参加サードパーティーと予定ゲーム数の多さが頭一つ抜けていた。当時、任天堂が「良いゲームを作れるのは少数の会社だけで、それ以外は不要」とか言っていて、任天堂の新型機からは多くのメーカーが排除される方向。一方で多くのメーカーが集まったのがPlayStationという構図でした。
まあ、当時はまだ「本命:任天堂、対抗:セガ、穴:SCE」という感じでしたけどね。


記事中の次の部分は面白い話。

最後に、一見8bit時代によくあった3頭身キャラクタをジャンプさせながら面クリしていくタイプの画面を出しておいて、それをいきなり前後にズームイン/ズームアウトさせたり全画面を回転させるというデモがあった。このときは会場に集まった少々のことでは驚かないゲーム各誌の記者達の間から思わず「おぉ…」という声が上がった。まるで従来のゲームマシンのやっていることなどPlayStation内の仮想マシンとして処理できてしまうとでもいわんばかりの、まったくストレスを感じさせない速さであり滑らかさなのだ。(月刊ASCII 1994年7月号 p.371)


一週間後の5月16日にはセガがサターンの正式発表を行っている。(当時、ゲームショウ(おもちゃショウ)は6月だったので、両社ともにそれに合わせたということなのだろう)。