k-takahashi's blog

個人雑記用

Winny事件判決

 おおやにきの記事はこちら(http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/archives/000373.html)。
やはり刑事罰というのは違和感があるのですが、概ね納得できる。おおや先生からしても、「事実認定も絡んで細かい話なので、判決原文を読まないとわかんないなあと思うところではある。」とおっしゃっておられる。


 ところで、記事の終盤にちょっとひっかかった。

この点は被告人が捜査陣に対して「技術的に理解不足。分からないなら首を突っ込まない方がいい」という趣旨の発言をしたと伝えられる点(msn毎日インタラクティブ)と関連して気になるところで、これってトンデモ科学の人の典型的な物言いと同じだよねえ。もちろん被告人の技術は本物であっていろいろな意味で実際に役立ってしまったわけだが、技術にせよ科学にせよ本来はその有効性・正当性を主張する側が内容を立証しなくてはならない(というお約束になっている)のに対して、立証責任を社会に転嫁しようとしている点は同じだなと。

 私はむしろ、病気腎移植の万波誠氏や、代理出産の根津八紘氏に近いように思う。専門家として、そのテクノロジーの技術的問題点や社会への影響をきちんと考慮し、しかるべき手続きを踏んで行うべき実験(チャレンジ)を、自分の一方的な価値観を根拠に実施してしまったという点が似ているのではないか。更に言えば、取り巻きと一緒になって「何が悪い。俺は悪くない」と言い張っているところもそっくり。


 私個人は技術礼賛主義に近い立場なので、基本的にはやる方を応援するのだが、でも社会的に取るべき手続きは取っておくべきだと思う。あえて実行するにしても、それ以前にきちんとした訴えがあれば社会の側だって対応が変わってくるだろう。バリバリの反対論者は何をしたって反対すると思うけれど、比較的中庸に近い人、すなわち社会の多数は、そういうところを割と見ていると思う。

 自分が社会的に少数派であると思うなら、なおのこと多数派が認めているところの社会的手続きは重視するべき(最後には突っ切ることになったとしても。)であって、それを怠ったら単なる犯罪者である。まあ、金子氏本人は、自分が邪悪なコンテンツ業者を成敗する正義の味方かなにかだと思っていたのではないかと憶測するのではあるが。


 というか、結局和田移植が移植医療の足を引っ張ったのと同じ構図で、Winnyがネットワーク技術の足を引っ張ってる、というのが私の感想。正直に言えば、「いらんことしやがって」なんですよ。