- 作者: 上田昌文,渡部麻衣子
- 出版社/メーカー: 社会評論社
- 発売日: 2008/07
- メディア: 単行本
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このテーマについて、イギリスのDEMOSが出版した"Better Humans?"という本を翻訳したのが第一部、日本の著者が寄せた論文7編をまとめたのが第二部、という構成になっている。
第一部はややごちゃごちゃした印象を受けるが、これはそもそも「多様な見解を集める」のが目的なのでこれでいいのだろう。
第二部は、なんとなく出たばかりの本にしては内容が古い印象を持った。慎重な姿勢がそう思わせるのだろうか。でもiPS細胞の話が出てないところを見ると、古い論文を集めたものなのかもしれない(あるいは、ES細胞の話にしておかないと倫理問題で押すのが難しくなるという都合からかもしれない)。
個人の選択としてエンハンスメントを利用することを「新優生学」と呼ぶそうです。ただ、「優生学」という、現時点ではネガティブなイメージを持つ言葉を流用していることから分かるように、エンハンスメントを否定する立場から使われているようで、「色の付いた」言葉なのかな。
で、感想なのだが、食い足りないな、と思った。多分その理由は大きく2つ。
一つ目は、人間性だとか社会性だとか従来の云々とかについては、IT・Web系の話を見れば大体似た話が山のようにあるので、そこで見慣れているからだろう。
例えば、能力拡張の話。従来は必死に文献を探して得ていた知識をWebで簡単に手に入れられることを批判する「文化人様」は少なくない。社会秩序の話なら、Webを思うがままに操作できないことに不満を抱く、いわゆる「君臨派」という連中がいる。努力を否定することになるという批判も、要するに「従来の努力」つまり自分たちがした努力を同じことを後進がしない(効率的にスキップしてしまう)ことを批判しているようにしか見えない。これは、梅田望夫の言う「高速道路」論に他ならない。
もちろん、実際に体に手を入れるかどうかという違いは無視できないが、でも話題にデ・ジャヴ感があるんですよ。
二つ目は、割とぶっ飛んだ系の話(肉体操作とか)については、昨年のワールドコンの企画で色々と語られ、されにそれらをまとめた本*1が既に出ており、やはりそれと比べると、地に足が付いたというか、保守的に過ぎるというか、そう見えてしまったからだろう。
個人的には、多分違うだろうと感じる部分が結構多かった。
エンハンスが一部の金持ちだけのものとなるという論が何度か出ている。確かに最初に手を出すのは、一部の酔狂な金持ちだろうと思う。そして、あるものはうまくいき、あるものは失敗することになるだろう。でも、一般的な金持ちは、通常の健康・医療支援で当面は満足すると思う(彼らは無用なリスクは冒さない)。だから金持ちだけを狙っても市場は大きくならない。すると、資本主義的な発想でいけば、サービス提供者は利益拡大のため市場を拡大しようとし、それゆえコストはだんだん下がってくる。
だから、資本主義的な発想でエンハンスメントが拡大するのであれば、むしろ大衆化は速く進む。一方で、社会としての「優生思想」を推進するためであればコストを下げる圧力はかかりにくそうだ。それでも最底辺の人達には恩恵が行き渡らないのは事実だろうが、どっちがいいかというと、利益追求路線の方がましなきがする。
まず先進国で普及し、途上国が後回しにされるのも事実だろうが、携帯電話を考えるとにわかに否定するものでもなさそう。
あとは、子孫の遺伝子操作を日常的に行い、戦闘的・階級的社会(に見えなくもない)を構成するアーヴという種族が、SFを読む人には既に広く知られている。単なるユートピアでもディストピアでもない「そういうもの」として受け入れられており、設定ゆえに毛嫌いされているということもあまりない。
もちろん、SF的思考実験と自分の身に降りかかる話は別だという指摘は正しいが、それなりに対応してしまいそうな気もするんです。
特に第二部について、情緒的・否定的話題が繰り返されていて「どうやってエンハンスメント規制を正当化するか?」という議論が多いように感じたけれど、まあ、私個人は「推進派」というか、「どうせ止められないのだから上手く使おうよ」派なので、偏った読み方なのでしょう。
もし、第二部的論調が一般的論調であるならば、私は異端ですね。