k-takahashi's blog

個人雑記用

いつか音楽と呼ばれるもの

iPhone×Music iPhoneが予言する「いつか音楽と呼ばれるもの」

iPhone×Music iPhoneが予言する「いつか音楽と呼ばれるもの」

 ネットワークという要素が加わることで、個人とコミュニティ、制作と消費。これまで対置して捉えられてきた概念の境界線が薄れつつある。この4つの要素が混沌と交わる中間点に、これまで私たちが聴き、楽しみ、消費してきた「音楽」とは別の異質な何かが生まれつつある。そう、音楽の概念自体を揺るがす何かが。
 ここ数年来ipodやその他の競合するポータブル・オーディオが新機軸を打ち出せなかったのはこの領域を見落としていた、もしくは気付いていても技術的な制限から実現できなかったからだ。逆に、この4つの要素が交わる領域に遡及できれば、新しい概念のipodを実現できる。
 音楽業界が送り出すCDを消費者がだまって受け取る時代は終わった。ipod2.0がありえるとすれば、そこでは音楽は受動的に聴く対象ではなく、主体的に「する」ものになっていなければいけない。今度は何をするのかが問われることになる。(p.38)

現時点では「音楽」と思われていないけれども、将来は当然のように「音楽」とみなされるもの。その嚆矢がipodというもの中に見えるのではないか、それはいったい何だろうか、ということを考える一冊。


 いわゆる西洋音楽が世界的に優位に立った理由の一つは、「楽譜」の発明だったそうだ。楽譜というテクノロジーにより、複数の音を組み合わせる技術が飛躍的に向上し、これが他の民族音楽に対する優位性を確立した。さらに楽譜というテクノロジーは楽曲を「記録」することを可能にし、時空間を越えて楽曲を伝えられるようになった。
 その後、蓄音機というテクノロジーが登場する。このテクノロジーにより、楽譜ではなく「演奏」を記録し伝達することが可能になった。この「演奏」を商品として売るというのが現在までの音楽業界モデルであった。
 そして、iphoneというテクノロジーが登場した。何が起こるだろうか。


 その可能性の一つが、ブライアン・イーノが言う「生成音楽」なのだそうだ。「ライブ音楽」「再生音楽」に対して「生成」。同じ音楽が「反復」されるのではなく、作曲者が作った「種」から曲が「発生」し、それを聴く。その発生の仕方は、その瞬間、その場所に依存したものになるし、聴き手が多少なりとも影響を与えることもできる。このような、作曲とも演奏とも異なる「種」作りを「委譲」というのだそうだ。

 あるいは「Audible Realities」。環境から意図的に音を消す、音を加える、音を変える。それらによって今まで見落としていた現実、ありえる別世界を想起させるというもの。周囲の音を数秒間遅れで聞かせたり、自分の動作に効果音を付けたり、周囲の音を加工して別の音にしてしまったりする。


 などと、本当かと思うような話だが面白い。RjDjやBloom、FutureSoundなどでその一端がすでに体験できるというのも、iPhone時代ならでは。MADビデオなどで、画像とBGMを滅茶苦茶な組み合わせにして笑いを取るものがあるが、あれをユビキタス的にやってしまうと考えることもできる。


 再生音楽の行き着いたところ(自分の聴きたいものを全部詰め込んで、自分の好きな順番で、自分だけが聴く、というのがipod)が、その先に進む嚆矢になるというのも興味深い。
 ポストipod時代には音楽パッケージで儲けるというビジネスは衰退しライブが復活するということが言われることもあるが、そうでない道がありえるということも、本書を読むと分かる。私はこの手のアートはよく分からないので、感心しながら読むだけですけどね。


 本書にはもう一つ読み方があり、単純に、現在のiPhone上で行われている音楽ビジネス、音楽アプリの紹介カタログとして読むこともできる。AKONのファンクラブアプリケーション、携帯デバイスならではの癒し系アプリケーション、スターバックスのクリスマスソングアプリ、Top100のようなセレクション・ストリーミング、色々あるんだな。

ゲームに関連して

 音ゲーのことも少し触れられている。

音ゲーの特徴は、主にリズムの視覚化による、音楽の構造の視覚化ともいうべき機能にある。(p.132)

音ゲーはゲーム性を利用してリズムに乗った状態での聴取をデザインしている、ということができるだろう。(p.132)


 本書はこれを深掘りする話はしてくれないが、サントラとは異なるゲーム音楽というのも、なにか理屈付けできるのだろうな。

(2009/05/15追記)
つまり、もともとゲームの演出として付けられたのがゲーム音楽だし、その位置づけ自体は変わっていないのだが、聴き手の立場に立つと「ある音楽を体験する場としてゲームが用意されている」「音楽がゲームによって演出されている」という考え方もありえるということ。

産業関連(2009/05/16追記)

 楽譜というテクノロジーにより「作曲家」という職業が成立可能となった。楽譜を販売するというビジネスを維持するために、著作権が必要となった。
 蓄音機というテクノロジーにより「レコード会社」という職業が成立可能となった。蓄積メディアの販売というビジネスを維持するために、著作権が必要となった。