k-takahashi's blog

個人雑記用

コロコロ爆伝

定本コロコロ爆伝!! 1977-2009 ~ 「コロコロコミック」全史

定本コロコロ爆伝!! 1977-2009 ~ 「コロコロコミック」全史

休みの日に少年マンガ誌全部と月刊マンガ誌全部を買ってきて、自宅の今にズラッと並べてみたんです。そうしたら子供達が読めるマンガ誌が1冊もないんです。みんな高校生か大学生向けの漫画誌で。(p.37)

という問題意識から1977年に創刊されたコロコロコミック。当初は、というか創刊当初から当分の間は「藤子不二雄マガジン」だった。なぜかというと理由は同じで、子ども向けの漫画雑誌がなかったから子ども向けの漫画を書ける漫画家がいなかった。なので、漫画家の育成から始めなくてはならなかった。(だから、そのためのマンガ賞も作った)


 途中から、藤子不二雄マガジンから漫画家の数も増えてきて、次第に小学生向けの情報誌としての比重が上がっていく。マンガ、ホビー、イベント、という三本柱が確立するのは80年代半ば過ぎになってから。


 本書は、「リラックス」とうい雑誌に載ったインタビューなどを再編集した記事が中心だが、きちんとその三本柱の関係者のインタビューが揃っている。学年誌を持っていたから子ども向けの仕掛け方が分かっていた、オバQの時の経験があるから版権交渉などに経験があった、など、なぜ競合誌がコロコロに勝てなかったのかの分析もある。
 その意味で面白いのは、集英社の鳥嶋取締役のインタビュー。ジャンプの立場から、コロコロをどう見ていたから、どう思っていたかを語ってくれている。月刊誌と週刊誌の違い(スピード感とか総投入量とか。例えば、不味いと思って数回で軌道修正するとしても週刊誌が1ヶ月で済むところ、月刊誌だと半年近くかかることになる)、編集者の役割(コロコロ側はやはり作家の力量の点では不利だったらしい。だからこそ編集ときちんと打ち合わせて企画もストーリーも詰めないといけなくなる。)なども両誌の比較の中から分かりやすい解説になっていた。


 まあ、でも、やっぱりドラえもん。「女の子に興味を持ったらコロコロは卒業」という編集方針と、あくまで子どもマンガにこだわった藤本先生とは、やはり組むべくして組む相手だったのだろう。
あとは、当時の写真や記事が一部載っているのだが、藤子先生若い。