k-takahashi's blog

個人雑記用

あなたのための物語

あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

 人間は、たとえば言葉で「悲しい」と書いても、記述者の感情を完全には伝えられない。だが、NIPの疑似神経に転写するかたちで、感情や記憶を揺り起こしたときに働いた神経を記録することならできる。
 だから、NIPの一歩先として、記録した神経を、伝えたい相手の脳内でも働く書式で発火させることで、記述者の「悲しい」を完全に伝達する技術がうまれた。≪本来は使用者の脳内にない神経連結≫を作り出すことで、神経の発火を模倣し、医師や意味を脳なで作り出す言語-ITP(Image Transfer Protocol)が提唱されたのは、四十年も前だ。
 脳内にない神経配置を作れるとは、脳神経の網である人間をいかようにも記述できる言語だということだ(p.16)

 主人公は、このITPの研究者であるサマンサ。このITP技術を使えば、理論上は、あらゆる知識経験をソフトウェア資源として人類が共有できることになる。


 当然、こういう技術には反対論がつきもので、共同経営者らはそちらにも気を使っている。そして、もうひとつ、このITP技術には未解決の問題があった。

試験型ITPで経験伝達を使用した被験者全員が、違和感を訴えていた。世界が色あせてつまらないものになったような感覚が、ITP経験の使用中ずっと続くのだ。
 最初は単なる心理的影響だと考えられていた。だが、被験者が増えても全員から同じ症状があがっていた。サマンサたちが、”平板化”と呼ぶこの現象は、明らかな欠陥だった。(p.37)


 物語は、余命半年を宣告され、研究指導者の地位を追われたサマンサが、滅び行く肉体と戦いながらITPのみで構成された人工人格とともにITPの謎を解く、というとたぶん誤解を招くな。 物語の大半は、サマンサが苦痛にのたうち、病気を呪い、世界に悪態をつく場面でみちている。


 お約束のように、サマンサが自身をITPで記述したり、他人のITPを自分に導入したりする。ITP導入の作用の描写は、それが病苦を和らげようとする感情からきていることもあって、興味深くも痛々しい。そんな経験から平板化の原因をとらえるのだが、もちろんそれらの実験は倫理規定違反。それが露呈し、すべての実験装置を取り上げられる場面がクライマックス。
正直、最後の結論は「あれ、そっちへ行っちゃうの?」と思ったのだけれど、サマンサの人生だとそういうことになるのかな、と納得はできる。母親から押しつけられそうになった物語ではなく、「サマンサのための物語」を最後には手に入れているし。


 ちゃんと評論するならイーガンのTAPと比較するのがいいんだろうけど、個人的にはサマンサの痛々しさの描写が第一印象になっている。


 聞き覚えのある名前だったのでググってみたら「戦略拠点32098 楽園」の作者の人だった。