- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2011/02/25
- メディア: 雑誌
- 購入: 1人 クリック: 10回
- この商品を含むブログ (11件) を見る
『リリエンタールの末裔』(上田早夕里)。華竜の宮がまだ積ん読状態で読んでいないのだが、本短編だけを見ると、かなりストレートな異世界航空宇宙SF。
『神が手を叩くとき』(マイクル・F・フリン)。地球外文明を発見した一行が、観察を始めたが、という話で、接触するかどうか、介入するかどうか、というスタートレックの「艦隊の誓い」を思わせる困難な問題となる。それこそ、リビア的な問題とどうか変わるかなどと現実世界のことが頭に浮かぶ。
北野勇作の『カメリ、メトロで迷う』は、レプリカメがカヌレを作ろうとメトロの巣に迷い込む(?)話。フェリクス・J・パルマ『セバスティアン・ミンゴランセの七つの人生(のようなもの)』は、雨宿りしている女性に声をかけるかどうかというところで分岐していく世界を重ね合わせた奇想SF。うまく映像化できると面白くなりそう。
「ヒロシマをめざしてのそのそと」(メイムズ・モロウ)は中篇が掲載。大きな話と小さな話がごちゃごちゃと混ざりながら事態が進展していく。249ページのイラストが、まさにタブロイド。
中野善夫の連載評論は最終回。
フロドは使命を達成したら何も新しいモノを獲得できない運命だ。できるのは、世界を正しい世界に戻すというだけである。この点で『指輪物語』は極めて特異なファンタジィであると同時に、世界を正しい姿に戻そうとすることだけを目標にするという意味では極めて純粋なファンタジィらしいファンタジィである。
(中略)
ファンタジィの読者たちは、『指輪物語』を異世界ファンタジィの中核と位置づけ、神聖視しすぎてはいないか。極めて変な異世界ファンタジィであることにもっと注目すべきではないか。(p.98)
現代SF作家論シリーズ第3回は、小畑拓也氏によるハインライン論。ウォルドゥやパワードスーツを見ながら、人と機械の関わりという点でハインライン的ポストヒューマンをどう読むかという話。パワードスーツのセンサー越しの世界知覚と人間の目による世界知覚とでどちらが「真実」かというような話題も。