- 作者: 多根清史
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/08/08
- メディア: 新書
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筆者が一冊を費やして見いだそうとしているのは、ゲームの文脈における発想の進化の道のりである。(表紙より)
ラブプラスあたりを例外として、80年代〜90年代あたりのゲームの流れをまとめたもの。面白く読めるし、表現とか上手いものが結構ある。例えば、「パックマンの食べる」を「ドンキーコングの跳ぶ」と並べてみたり、シミュレーションゲームの流れを「事実ではなく欲望」を再現すると見ることで、ダビスタやときメモを一つの流れに載せてみたりするあたりは、上手いなあと思う。
また、「発想の流れ」を考えるというスタンスからは当然なのだけれど、
完成度が高すぎる作品は、それ以上足すことも引くことも難しい。下世話に言うと「パクリ」を作ろうとする意欲をくじいて、多くの「似たもの」によるジャンル化を妨げて、生存競争のもたらす進化も起きはしない。ゲームの「完成度」と「進化の器としてのキャパシティ」は、必ずしも一致しないのだ。(p.122)
というのも、良い着眼点だと思う。
なので、お薦めできる一冊なのだけれど、資料や根拠の提示がちょっと手を抜きすぎで、ここからすぐに議論を始めることができない。着眼点としては面白のだけれど、検証とか考え出すととたんに引っかかる。細かいところやニュアンスの違いを感じても、「ええと」で終わってしまうのだ。
また、最後のラブプラスのところで、「同期・非同期」という、徳岡さん*1と同じようなところに目を付けているのだけれど、分析はほぼ無し。最近のゲームを扱わないのを「最先端のハードウェアによる力ずくの表現の前には、ソフトウェア的な工夫はかすんでしまいやすい」(p.11)と理由づけているが、分析できない言い訳のような気もする。(というよりは、多分著者はその辺に関心が無いのだと思う。)
きっちり調べる・分析する、というタイプの論考ではなく、エッセイ的な読み物なんだろう。別に欠点ではない。「オレはこういう風に捉えるんだけどな」という意味で筋は通っているし、大きな破綻はないと思う。80年代テレビゲームに興味があるなら強く推薦しておきます。
*1: