k-takahashi's blog

個人雑記用

政治学 〜試験のための政治学

新書で大学の教養科目をモノにする 政治学 (光文社新書)

新書で大学の教養科目をモノにする 政治学 (光文社新書)

本書の旧版は、1988年、早稲田経営出版から刊行された「試験のための政治学」です。タイトルからもおわかりの通り、公務員試験、司法試験の受験参考書として、資格予備校Wセミナー関係の版元から上梓されたものでした。
(中略)
ただ、受験のためにのみ”使える”書をめざした。そういう自信を反語的に込めた惹句であります。
私の矜持はここに関わります。ここというのは受験参考書としての実用性です。では実用書を出す矜持とは何か。第一、実用書というものは常に、はたしてそれがどれだけ実の用をなしているかというチェックをされています。受験参考書と名乗るからには、それを読んで、試験に合格する可能性が高まらなければ、紙くずほどの価値もないのです。
(旧著復刊の理由、より)

という一冊。試験の変化に伴い一旦は絶版となった本が、教養書として再版されたと。


中身は、そういえば昔学校で聞いた話が多い。一応、大学の教養課程では「政治学」もとったけれど、それは先生の興味とかによるズレがあるので、完全に重なるわけではない。それでもある意味で懐かしい話が多い。ホッブズとかロックとかルソーとか、政党の意義とか。


出自のせいか、ところどころに「例題」というのが出てくるのが面白い。真面目に教科書に使うなら自分で例題を解いてみるべきなのだろうが、そこはスキップしました。


この手の本は著者の偏向が常に問題になるのだけれど、実用に徹しているから少なくともトンデモ系ではないわけで、そういう安心というのは大きい。安心して薦められると思う。


とは言え、知らないことや、改めて思い出したことも

知っている話が多いとは言え、そこは教養課程でちょこっとやっただけのような人間には知らないことや忘れていることも多いわけでして、その辺から幾つか。


リーダーシップの対語にヘッドシップというのがあるそうだ。

権力によって組織化された体制をもとに、命令ー服従によって社会が目標実現へ向かっていくことをいい、自発的一体感によるものではない。(p.45)

リーダーシップの方は、自発的支持に基づくというもの。
実際には境界は曖昧なんだろうけれど、考え方は別、と。


「王権神授説」とは、政治が宗教に従属しており王様が法王によって認証されねばならなかった中世と比較した場合、国王が「直接、神から」王権を授かった、とする革新的思想である。この点においては、政治の宗教からの独立を宣言する近代的思想だったのだ。(p.61)

これもまた権力闘争、それも理屈づけという文脈から。

完全な自由委任制による代表民主制が取られた近代国家では、どこから選ばれようが全国民の代表なので、選挙制度が問題となることは少なかった。しかし、普通選挙の実現後、政治的要求をインプットする有権者として、少数の財産と教養ある階級の他に量的な大衆が登場した。そうなると、自由委任制は修正を余儀なくされる。すなわち、有権者の意志が正しく議会の勢力分布に反映されることが要求されるようになるのだ。(pp.127-128)

言われてみればその通りで、全議員が全国民の代表ならば選挙制度が問題になることは確かに少ない。
これに限らず、普通選挙が色々な問題をもたらしていることが本書では何度も出てきて面白い。

近代ブルジョワ国家の政治システムはロック、モンテスキューなどの思想家の理念から生まれた。しかし、現代大衆国家のシステムは理論より現実が先に生まれたのだ。(p.170)

ウェブと政治の統合も、現実先行だなあ、と。

疑問とか

ルソーの理論も最も大きな意義は、ロックによる代表制の欺瞞を暴き、直接民主制の理念を提示した点にある。(p.66)

とあるのだが、ここが読んでもよく分からなかった。ロックのどこをどう批判したのか。別の本を読まないといけないのかもしれないが、どこを読めばいいんだろう。


あと、ストイックに実用性を追求した旧版の部分と比較して、新版向けに書き足されたであろう直近の話は妙にステレオタイプ的で掘り下げが足りないような印象を持った。わかりやすさ優先にわざとそうしたのかもしれないが、読んでいてちょっと浮いた印象を受けた。