k-takahashi's blog

個人雑記用

葉隠入門

葉隠入門 (新潮文庫)

葉隠入門 (新潮文庫)

三島由紀夫の最期を知っていると、色眼鏡で見てしまいがちだが、

これは自由を説いた書物なのである。これは情熱を説いた書物なのである。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という有名な一句以外に「葉隠」をよく読んだことのない人は、いまだに、この本に忌わしいファナティックなイメージを持っている。しかし、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」というその一句自体が、この本全体を象徴する逆説なのである。(p.10)

と書いている。「逆説」とはどういうことなのだろうか。本書はそれを説明している。どのような逆説があり、それをどのように捉えたのかが書かれている。
そもそも「葉隠」の著者であり『武士道といふは、死ぬ事と見付けたり』と書いた当の本人(山本常朝)が、42歳のときに鍋島光茂への殉死を禁じられ、20年後に普通に死んでいるのである。

死=選択=自由という図式は、武士道の理想的な図式であっても、現実の死はかならずしもそのようなものでないことを知っていた常朝の深いニヒリズムを、この裏に読みとらねばならない。(p.42)


以下、少々引用。

わたし自身はあくる日の予定を前の晩にこまかくチェックして、それに必要な書類、伝言、あるいはかけるべき電話などを、前の晩に書きぬいて、あくる日にはいっさい心をわずらわせぬように、スムーズにとり落としなく仕事が進むように気をつけている。これはわたしが「葉隠」から得た、はなはだ実際的な教訓の一つである。(p.45)

GTDですね。

葉隠」のおもしろいところは、世間ではまるで別の能力と考えられている、行動的能力と実務的才能とを、年齢の差によってそれぞれの時代の最高の能力として、同等に評価していることである。(p.67)

これは、キャリアプラン
ということで、実は『葉隠』はビジネス書としても読める。『武士道とは……』のインパクトが強すぎるので企画としては難しいだろうけれど、ビジネス書に仕立て直すことも不可能ではない。なにしろ、会議の準備や教育論、さらには「あくびを我慢する方法」まで書かれているのだ。


極めつけがこれ。

「人間一生誠に縁の事なり。好いた事をして暮すべきなり。夢の間の世の中に、すかぬ事ばかりして苦を見て暮すは愚なることなり。この事は、悪しく聞いては害になる事故、若き衆などへ終に語らぬ奥の手なり。我は寝る事が好きなり。今の境界相応に、いよいよ禁足して、寝て暮すべしと思ふなり。」(p.83)

「好きなことをして暮らすのが一番だが、これは若者には教えない方が良いよ。俺は寝て暮らすのが好きだ」である。
これと「武士道とは……」とが共存しているのが「葉隠」という本であり、この逆説を抱え込むべきだというのが常朝の哲学なのだろう。


もちろん、本書は「葉隠」そのものではなく、三島による解釈を語っている本である。「ニヒリズム」の扱いが大きいのもそのせいだろう。
ただ、特に現代においては、「葉隠」を直接読むよりは三島の注釈を読む方が分かりやすいと思う。
まさに、食わず嫌いはよくないよね、という一冊。