k-takahashi's blog

個人雑記用

チベットの秘密 〜サプサプチェ

チベットの秘密

チベットの秘密

本書が言う「チベットの秘密」とは、秘境やシャングリラといったことではなく、中国政府によって秘密にされてしまっているチベットの現状、という意味である。


作家のツェリン・オーセルの著作や論文、エッセイ、詩、研究者の王力雄の論文などをまとめて一冊にしたもので、最近チベットで何が起こっているのか、それをどう感じているのか、どう捉えているのか、が色々と書かれてある。
細かい詩やエッセイが中心なので、少しずつ読んできた、というか、あまり多くの量はまとめては読めないです。気の毒過ぎて。


ある程度歴史の本とかを読んでいれば、「ああ、またか」というようなエピソードが多い。
しかし、そういう話の大半は20世紀前半あたりまでのこと。知識や教訓として学ぶべき古い「歴史」の話である。
ところが、本書のエピソードの大半は今世紀。話半分に聞いたとしても、俄に信じがたいエピソードばかりである。どこの国だって、どこの地域だって変なことはある、というのは正しい。が、ものには程度の違いというものがある。そして、チベットはその程度が尋常ではない。それが色々と紹介されている。


尖閣絡みの中共レアメタル輸出制限問題のときに、中国国内の乱開発の記事が色々とでてきて、そのいい加減振りが伝えられているが、チベット地域もこの犠牲者となっている。
そして、乱開発問題とチベット文化弾圧問題が合わさるとこんなことになる。

チベット北部のチャンタン高原の聖山で上質な鉱物資源が発見され、中央政府が出資した鉱山会社が採掘事業を行うことになりましたが、地元住民が抗議したため、できませんでした。そこで、鉱山会社のボスが、ダライ・ラマを非難して地元仏教協会の会長に栄達した高僧を買収し、住民を欺きました。高僧は次のように説教しました。
「このことのために瞑想して修行した結果、聖山の山神を別の山に移した。もうこの山は神を畏れる聖山ではない。だから採掘しても大丈夫だ」(p.154)


あるいは、中共の代弁者に仕立て上げられたニマ・ツェリンの苦悩のエピソード。これはウェブにもある。

「これは政治問題ですから、答えられません。」
「政治問題ですか? 一人のチベット人、一人のラマ僧が、自分たちのダライ・ラマに会うのが政治問題ですか?」

ニマツェリンの涙 |

サプサプチェ

「サプサプチェ」はチベット語で「本当に気をつけて」という意味。これを挨拶代わりに使っている人がいるという。(p.89) 

政治的分析について

本書(王力雄)は、2008年のチベット事件により、自治を目指すという方針から独立を目指すという方針に切り替えざるをえなくなったという分析をしている。


簡単に言えば、こんな感じ。
チベット問題に関わる部門が多くなりすぎた。「反分裂」の機能を有する機関は実に24にもなる。当然、関わる役人の数も多くなる。そのため、チベット弾圧は、中央の指示というよりは、官僚組織の機能として行われるようになってきた。
ここで、もし従来の路線の失敗を認めると、当然これらの部門や役人も責任を負わされることになる。これは役人にとって困るから、責任を回避しなくてはならない。
では、誰に押しつけるか? 「ダライ集団」以外にないのである。チベット内にあればそれは役人の責任になってしまうが、「ダライ集団」なら国外なのだ。
2008年の問題に対応するための宣伝過程で、漢人によるチベット排斥、チベット差別が顕在化してしまった。これにより、チベット人の側にも「独立した方が良い」と考える人が増えた。
ところが、中国の役人は「反分裂で飯を食い、反分裂で出世し、反分裂で財をなす」(p.322)という立場にあるため、問題を解決するインセンティブが無い。それどころか、軍部が仮想敵国の脅威を煽ることで予算を増やそうとしがちなのと同じ仕組みで、権力を増やそうとすることになってしまう。反分裂問題があった方が都合が良くなってしまう。
そして、こういう問題を解決するための民主的な仕組みは中国にはない。


著者は、

今回の事件のプロセスには明確なチベット独立の要求があったとは思えず、それは多くの要素の複合的な所産であり、そこには発展がもたらした格差、経済レベルにおける不満、移民問題漢人チベット地域への大量移民)、外国からの影響、「群集心理」などが含まれる。当局のプロパガンダの「カウンター動員」と鎮圧への反発がこれを更に助長した。そのため、今回の事件により、かえってチベット人チベット独立に覚醒し、その賛同が広がるという結果となった。
(pp.315-316)

と問題の深刻化も指摘している。


この分析が正しいのかは分からない。少なくとも現状では、多くの西側諸国は金のために表だったチベット独立支援はしていない。4年以上経った今でも、多くのチベット人が死に、中共の支配は揺らぎをみせていない。

学術データとして

本書に対しては、客観データとして問題があるという指摘がある。私もそれは読んでいて感じた。ただ、それについて一番の障害が、中国政府が調査を妨げていることにあるのは言うまでもない。
さらに、

私が述べるヒストリーとライフ・ヒストリーは「学術研究」としては「客観性」や「根拠となるデータ」に問題があるとして、あるチベット研究者を失望させたようです。これについて、倭つぃの夫であり、民主化問題や民族問題の研究者・王力雄は「抒情を有しない学術研究と厳密に区別しようとする気持ちは分かるが、しかし、オーセルは学術研究の枠にはとらわれていない。彼女の“抒情”は、一貫しt絵奥深い生の感情に根ざしたオマージュをチベットに寄せるところにあり、学術研究の枠組みに合致させる必要などない。
(序文、より)

という意識で書かれている本書の扱いは、学術書ではないということなのだろう。


だから、我々は、本書の内容をもとに中国政府を直接非難するのではなく、チベット地域の情報をきちんと公開しろ、という要求からスタートすることになるのだろう。
現状を放置するわけにもいかず、なんとかソフトランディングして欲しいとは思う。