基準値のからくり 安全はこうして数字になった (ブルーバックス)
- 作者: 村上道夫,永井孝志,小野恭子,岸本充生
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/08/08
- メディア: Kindle版
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という疑問がある人にお勧めの一冊。
本書も最初の方に
「基準というのは、考えるという行為を遠ざけさせてしまう恰好の道具である」(No.126)
と書いているが、別にこれは必ずしも悪いことではない。「計測すること」「計測した結果を解釈すること」は楽な仕事ではなく、専門家でもなければ、一旦基準値に落として考えるコストを下げるというのは(他にも大事なことはあるのだから)悪いことではない。でも、知識が無いのはまずい。
もちろん、結局は「リスク」の話になるのだけれど、日本はここの部分が大きく立ち後れている。その基礎としての基準値の考え方(の更にベース)を理解する必要があり、それがどのような社会を作るかの話につながっていく。この難しい話を考えたくないのが放射脳やマスゴミ。ああならないためには、まずはきちんとした理解が必要。
本書は様々な基準値について、決め方、社会背景、改訂、などを解説してくれている。例えば「なぜ、お酒は二〇歳から?」「メタボの85cmの根拠は?」などである。
本書には色々な実例が出てくる。
例えば、生菓子の「ねりきり」。生菓子なので加熱殺菌はしていない。非加熱食品の基準値は腐敗がみられる生菌数の10分の1だが、実は全然余裕がないことが科学的に分かっている。
あるいは身近なところで「卵」。卵の賞味期限と消費期限は本来区別できない。なぜなら「生で食べられる」期間を示しているから。
消費期限と賞味期限。基本的な考え方は知っている人が多いと思うが、その決め方はどうだろうか。
例えば、賞味期限を決める際に「仮の賞味期限」を設定し、その1.5倍くらいに検査期間を決め、その期間で検査をしてOKなら「仮」の期限を本物の賞味期限にする、ということは珍しくないそうだ。この場合の「期限」とは一体なんだろうか?
似たような話に残留農薬の基準値の話がある。そもそも適切に農薬を使用しているか?のチェックのための基準値であった。ところが、なんであれ基準値を超えたら、「その地域の農産物が丸ごと風評被害を受ける」となると、生産者側では「基準値を超えていなくても近い値が出たら農産物を廃棄処分する」という対応を取らざるをえない。ここに「消費者の健康」は無関係である。
あるいは、毒性が分かっているのに、毒性が分かっていない物質に適用する基準値を当てはめてしまう例もある。
他にも公害運動の都合でPM2への対応が遅れた例、達成率がゼロの基準値の例、トレードオフの観点がない数字の例、集団を保護するはずの数字が個体の死ぬ可能性がゼロの数字にされてしまった例、測定できないから設定できない基準値の例、ひじき・米・マグロなどなど。
おかしな基準値の例としてよく批判の対象になる「携帯電話」の事例も紹介されている。15cmという決め方の非一貫性と、それがさらに鉄道事業者側におかしな運用をされてしまい、結果が現状である。
真面目な話としても重要なのだけれど、個々の事例とその背後の考え方だけでも面白い。お勧め。