- 作者: 小松左京
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/07/14
- メディア: 新書
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (76件) を見る
小松左京の自伝のようなもの。小松左京マガジンの連載をもとにした「語りおろし」。日本沈没合わせの企画本なのだろう。日経に載っていた連載と重なる部分も多いが、同じというわけではない。
神戸震災が相当こたえたというのは、文章からよく伺える。見るからにしんどそうだったものな。
あとは、色々なものに首を突っ込みつつも、やはり小松SFの基本は未来と文明なんだということも。
面白そうな部分を幾つか引用。
いったいなぜヒトという生き物は、「自然の中で生きていくのに最低限必要な能力」以上の過剰な脳を持ってしまったのか。僕は「未来観」を論じるにあたって、そこから説き起こした。
人間の「意識」と人間の「生物的生命」にはズレがある。危険回避のための未来予測能力は最低限必要だが、星の延長上に未来を予測すれば必ず「固体の氏」にぶつかってしまう。自らの「個体の死」を予測できるのは人間だけだ。だから不可避的に、「人はなぜ生まれ、死ぬのか」という問いかけが生じる。人間の生物としての意識の構造が「未来と死」を考えさせ、宗教と思想を生み出す。(pp.111-112)
(日本沈没の反響について)
右翼からも左翼から文句を言ってきた。右翼は、「あれだけ大事なことを書いていて天皇という言葉が一回しか出てこないのはどういうことだ」。左翼は、「自衛隊を英雄視していてけしからん」。左翼系の方がしつこかった。(p.132)
(ヒマラヤの上で鳥が飛んでいるのを見て感動したあと。)
あんなに寒くて空気も薄いのに、人間が飛行機で飛ぶ前に鳥は真価の果てにもうこんな困難な飛行までやりとげていたのだ、と感動した。その時こう思った。しかし鳥は宇宙までは行かなかった、宇宙は人間がやるのだなと。進化が人間の宿命であり、地球生命の一つとしての義務であるとすれば、やはり宇宙には行かなければならないだろうと思った。(pp.173-174)
そして、最後に曰く
SFとは文学のなかの文学である。
そして、
SFとは希望である、と。(p.178)