k-takahashi's blog

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軍需物資からみた戦国合戦

軍需物資から見た戦国合戦 (新書y)

軍需物資から見た戦国合戦 (新書y)

 帯には「木と竹が合戦の勝敗を決めた!」とありますが、別に個々の合戦で軍事物資の集積が勝敗を分けた事例を解説するとかそういうわけではありません。もう少し長いスパンの話です。


 基本的には文献調査での研究で、木や竹はどのような用途に使われたか、どのように調達されたか、を中心に分析が行われています。
防御用建築物には塀・土塁・尺木があるとか、それぞれどのように作られた(必要な資材と工数)か、資材と工数はどのように調達したか、など。合戦に必要な資材も、建築物だけでなく、鑓の柄(当然木製)や炊飯用の燃料も必要になるわけです。1万の兵が鑓を持っていれば、1万本の柄が必要なのです(大半の兵が使う鑓の柄は、複数回の使用に耐えるような高級品ではないから)。大半の柄は竹製だったとされていますが、御存知の通り戦国合戦では鉄砲よけにも竹束は利用されており、これも再利用は困難ですから、合戦の都度相当数の竹が必要になってきます。


 後半では、こういった大量の木材・竹をどこからどのように調達したのかが、供給源をどのように維持していたのかなどがやはり文献ベースで解説されていきます。当然ながら、管理権は誰にあるとかという話にも繋がります。なにせ戦国時代ですから、この辺はなかなかシビア。


 エピソードとして面白いものがあったので2つほど。
 1つは、1600年の醍醐寺の件。石田三成伏見城を攻撃する際に醍醐寺付近の竹木を伐採しようとした。これに醍醐寺が異議を唱え、7月末には小競り合いに発展している。ここで、「醍醐寺側膝下の郷民が武器を持って集まり攻撃しようとした」のだそうだ。時期的に刀狩りの後だったが、まだまだ武器を持っていた住民は多かったわけですね。
 もう一つは松。戦国時代の屏風絵には松が描かれていることが多い。これはなぜかというと、森林を伐採した後に最初に生えてくるのが陽樹である松だかららしい。つまり、森林を伐採し、それをある程度復興させる過程で松が増えたというのだ。松を積極的に植える施策もあった。具体的には、織田信忠が1576年(天正4年、長篠戦の翌年)に織田信長の命を受けて街道整備のやり方を定めているのだが、一定間隔で松と柳を植えろということになっている。そんな感じで松が非常に多かったのだそうだ。


 戦国時代の大きな流れと合わせたロジスティック的な分析というわけではなく、文献ベースのエピソード紹介的な部分が多いですが面白い視点の本だと思いました。戦国好きな人向けの副読本として。