陸海軍戦史に学ぶ負ける組織と日本人 (集英社新書 457D)
- 作者: 藤井非三四
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2008/08/19
- メディア: 新書
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日本が戦った戦争、特に満州事変から太平洋戦争についての論評は、賛美にも似た擁護が一方にあり、他方に難癖とも思える糾弾があり、その両極ばかりが目立ち、おそらく公正であるはずの、その中間がないことだった。歴史として語っているように見えるものの、実は歴史だと認識していないのではないかとまで思わせる。
あの戦争が残した灰は、未だ熱いことは認める。だから客観的にとらえられないのは無理からぬことだろう。しかし、戦後に生まれたわれわれの世代までが、そのような姿勢では、いつまでたっても収拾がつかない。(p.3 はじめに より)
計画・目標の建て方、人事・組織のあり方、などを中心にして、旧陸海軍の歩みをどのように評価し、どのような教訓を得るべきかについて語った一冊。研究書というよりは、エッセイっぽいが、基本的な知識はしっかりしているというような印象だった。
軍事行動を起こすのに、季節の影響を充分に考慮しなければいけないという話題では、農家の食糧備蓄状況や収穫状況などを鑑み、例えば満州事変を9月に起こしたのは不味かったとしている。この時期だと張学良軍敗残兵が農村に逃げ込んでしまう。収穫直後の農村なら徴発可能だから。だから春にことを起こすべきだったという理屈になる。満州からの引き上げについても、春頃に降伏しておけば犠牲はもっと少なかった(ここで指摘しているのは、ソ連による抑留のことではなく、引き上げが冬期になってしまったための問題)、など。
日華事変の年表を見ると、大きな作戦は4月に準備開始となっているのが多いそうだ。これが本当だとしたら、今もって会計年度に縛られた運用を続けている日本っていったい。
しごき問題についてもちょっと変わったとらえ方をしている。暴力装置という性格、生死に直接関わるという状況、などを考えると理不尽とも見えるやりかたも一概に否定はできないということになる。では何が問題なのか。著者は、訓練としての暴力行使、階級の上下を根拠とする管理された暴力行使であれば、それほど大きな禍根は残さないとしている。一方で目的のはっきりしない、管理されていない暴力、つまり私的制裁は大きな禍根を残すのだそうだ。
あと、「情報で負けた」とされているが、それが実情と合っていないのではないかとの指摘もしている。
少なくとも、暗号解読や情報収集の面ではそれなりの成果があり(地図製作や軍閥状況把握など。1930年代の米国の外交用暗号も解読していたとのこと)、また人事面においても情報系が冷遇されていたことはないとしている。大将になった情報屋が何人もいるのがその証拠だそうだ。
一方で、そういう情報を上手く使えなかったとか、防諜がザルだったことも指摘している。
興味深かったのが、日本に新たに情報機関を創設する場合の問題点の指摘。「国策が内向きの国の情報機関は、国内を監視する機能を重視する方向にずれてくる」として、その実例としてKCIAをあげている。なるほど。
いっそのこと、完全にエッセイスタイルで書いた方が良かったかなと思った。ちょっと毛色の変わった「帝国陸海軍から学ぶ」本でした。