k-takahashi's blog

個人雑記用

コマンド85号

 収録ゲームは、「レッド・タイフーン」。ドイツ装甲軍団シリーズ第4弾。しかし、フルマップは見ただけで広大。同シリーズの「ハリコフ」でも充分広く感じたものですが、これはなおさら広く感じる。
 システム上の大きな違いは「行動ポイント」。あらかじめ両者は「フォーメーション」という単位に分割されており、このフォーメーションごとに行動ポイントを消費して移動/戦闘を実施させることになる。独軍は5つ、赤軍は6つのフォーメーション(大ざっぱに言って、独軍は軍、赤軍は方面軍)に分かれている。行動ポイントは第1ターンが赤軍7、独軍4で、徐々に差は縮まっていく。このポイントが蓄積可能というところが面白いところ。


 収録ゲーム合わせで書かれた鹿内氏のコラムに面白い下りがあったので引用。作戦級の意味を語る部分。

 会戦は敵味方の主力同士が出会って雌雄を決する戦いである。
 作戦は戦(いくさ)を作る戦いだ。戦略的意図を持って組み合わされた戦いと表現できるかもしれない。
 だから会戦は基本的に一種類しかない。勝つためのものである。
 ところが作戦には様々な種類が存在する。もちろん敵を打ち破るためのものもある。しかし同時に敵の行動を遅滞させるものや、ただ後退するだけのものもあるだろう。戦略意図を実現すべく組み合わされた戦いの一つ一つが該当する。
 古代戦シミュレイションゲームに会戦級はあっても作戦級があまり見あたらないのは、それが作戦の概念で戦われていないからだ。それゆえ、作戦の視点ではデザインされていない。そして、そうした会戦級シミュレイションゲームが戦術ルール・システムに傾倒しがちなのも、会戦で影響したのが戦術だからであり、近世以前の兵術・兵学で戦術が大きな地位を占めるのもそのためだ。
 作戦級に近代以降の題材が多い理由も、作戦及び作戦術の概念が近代以降のものであるからだ。(p.11)


 あとは、最近「新規プレイヤーをいかにして」という視点の記事が多くなっている徳岡正肇氏の記事。今回もお手軽空戦ゲーム「Heroes in the sky」を題材に語っている。

 まず、「ゲームの普及には、そのゲームのテーマのメジャーさが重要である」という議論は、まったく成立しないと言うことが分かる。前述のように、空戦というのはそもそもが際だって尖ったテーマである。にもかかわらずHitSが一定のユーザーを集め続けている事実をむしするわけにはいかない。
 そもそも、テーマのメジャーさと、普及力が比例するのであるならば、「ドラゴンクエスト」はヒットし得なかっただろう。ドラクエが世に出たとき、RPGという概念は非常にマニアックなものであり、エニックス社内でも「こんなマニアックな作品が売れるはずがない」という観測が大半だったのは、ゲームに携わる人間ならば誰もが知っている逸話だ。(pp.76-77)

 結局、こういった対人戦メインのゲームの敷居を高くしている最大の要因は、たいていの場合ゲームそのものではなく、そこにいるプレイヤーなのだ。新規参入者たちは、既存のプレイヤーが構築している世界に入りがたく感じているのであって、既存のプレイヤーが遊んでいるゲームそのものに入りがたく思っているのではない。(p.77)

特に2つめの引用部分は、色々と反省しないといけないですね。ボードゲーム、トレカはまだしも、TRPGシミュレーションゲームは。