k-takahashi's blog

個人雑記用

ゲームジャーナル30号

 収録ゲームは「西部戦線異状なし」。システムは最近のGJの十八番の「手札セット作成」+「カード・ドリブン」。カードには最初から選択できる「作戦カード」とゲーム進行に従ってランダムに追加されていく「戦略カード」の2種類がある。戦略カードは基本的に使い捨てで、大攻勢(ヘイグ攻勢、ニヴィル攻勢、カイザー攻勢、ルーデンドルフ攻勢)のような戦力の集中投入を示すものや、新戦術(毒ガス、ストストルッペン戦術)を表すもの、「無制限潜水艦戦」→「護送船団戦術」→「アメリカ参戦」といったヒストリカルイベント系のものが含まれている。


 座談会1は「空母戦」。フラットトップと日本機動部隊という両雄とその位置づけの話は昔と変わってないですね。索敵となると、やはりコンピュータにかなわないというのは、高梨先生の仰るとおりですし。


 もう一つの座談会「デザイン序論」はディベロップとは、の後編。

  • ディベロッパーはデザイナーとプレーヤーの調停役。デザイナーが作りたいものとプレイヤーが遊びたいものの乖離を調停する存在(ソンシー浅野)
  • プレーヤー代表として、ハウスルールが一般化するようなことが起こるなら、それを出版前にやってしまう存在(近藤友樹)
  • 発行者(メーカー)の代理人(ふ〜ら〜中村)

この中村氏の説明がなかなか説得力があり、

メーカーはもちろん商品が売れないと困るので、「作品」であるゲームを市場の需要に合う「商品」として成功させるにはどうすべきなのかという観点から、「商品」として足りざるを補い、過ぎたるを省く行為がディベロップなのだと思う。
(中略)
なんでディベロッパーが必要かというと、「作品」としての善し悪しと「商品」としての善し悪しは違うんですよ。
なぜなら一つには「作品」にはコストは関係無いが、「商品」にはコストの問題があるし、デザイナーの作った「作品」と「商品」との間にギャップがある場合、はじめてディベロッパーの存在が必要(p.40)

GJ誌に載せるなら載せられるコンポーネント(例えばカード枚数192枚まで)に合わせて修正しないといけない、これができない人はディベロッパーにはなれない、というわけ。


 柿崎唯氏の「批判序説もどき」は、前号の続き。「パイパー転用問題(バルジ戦のゲームで、第1SS装甲軍団の南方転用を許すかどうか)」について。
 実は、同じ問題は、レウクトラの戦いのスパルタ軍の戦術にも、同じバルジの第7軍にも起きているが、パイパーは特に問題視されている。それは「知名度」が原因で、ようは「見せ場」をどう扱うのかの問題。なので、単純に「陰謀ルールが無いのが良い」とは言い切れない。

 パイパーが「自由」に進撃し最終的にセル辺りで「不自然」に食い止められて苦闘するのと、進撃を「強制」されて史実の森で「自然」にのたうち回るのと、どちらがマシかと聞かれれば答えに窮する。(p.63)

 かくも「自由度」というのは難しい。