k-takahashi's blog

個人雑記用

サはサイエンスのサ

サはサイエンスのサ

サはサイエンスのサ

15年にも及ぶ連載なので、半分も入れられなかったんだけど、まあ、あるいみオレのこれまでの総まとめ的な感じなのかな。
オレは面白いと思うんだ。
世界の究極の謎も解いているしな〜( ・∀・ )

wisdom | NEC -あなたのインスピレーションと、次代のWAVEを創っていく。

 鹿野司氏がSFマガジンに連載しているコラムを再編集したもの。「カラダ」「ココロ」「セカイ」「ミライ」の4章にまとめなおしてある。10年以上前の記事もあるから、必要なアップデートもしてある。


 これはなんでかなあ、こっちは面白いよなあ、という語り口が読んでいて楽しい。細かい部分だと「そうかなあ?」と感じる部分も少なくないが、そんなものも、鹿野先生とぐだぐだおしゃべりしていると思えば、楽しみの一部。ちょっと他に類書が少ないタイプですね。


 ほとんどSFマガジンの連載で読んでいるせいで、基本的には読み直し感覚だったのだけれど、それでも「そうそう」と面白かった部分があったので、引用。

科学ライターをやっているとたびたび経験することだけど、事実をそのまま話すと抽象的で理解されないことでも、擬人化した例え話にすると、ナルホドと納得してくれることが多い。だいたい自然は単純さを好むという言葉も、擬人化の例だ。自然に意識や意図なんて無いのに、好むなんていっているわけだもんね。
 これはおそらく、社会脳仮説と関係した認知も歪みだろう。(p.137)

この擬人化という方法論が悪い方向で作用した例が「利己的な遺伝子」。

 2020年頃に集積技術がほぼ限界に達しても、技術はまだまだ伸びていくだろう
 それは、これまでの集積のペースがあまりに速くて、それが含んでいる可能性のわずかしか探索されないうちに、次の世代の技術に移行するということがずっと続いてきたからだ。つまり量的拡大が速すぎて、質的可能性の探索が追いつかなかった。
 ちょうど、過飽和とか過冷却みたいな状態が今だからだ。(p.217)

量的変化が質的変化にというと陳腐な言い方だが、鹿野先生のこの言い方は腑に落ちた。