k-takahashi's blog

個人雑記用

数学ガール ゲーデルの不完全性定理 〜形式のもつ力と意義

数学ガール/ゲーデルの不完全性定理 (数学ガールシリーズ 3)

数学ガール/ゲーデルの不完全性定理 (数学ガールシリーズ 3)

結城浩先生の数学ガールシリーズの第3巻。タイトル通りゲーデル不完全性定理がテーマ。このテーマはある種定番なので、どう料理するのかなと思いながら読み進めた。
 無限(ε-δ)の話が絡んでいるなとか、ラッセルのパラドックスが意外とさらりと流しされてるなとか、読み進めていたのですが、第10章は途中で挫折。いや、字面を追うくらいならできますが、ゲーデルの原論文の流れにほぼそのまま沿った論証の進め方だったので、びっくり。形式的な処理にこだわるところがキーと言えばキーなのでこれはこれで正しい説明なのだとは思う。物語中でも丸一日かけて説明したことになっているわけですが、確かにそれくらいは要るんだろうな。


 意味にとらわれずに方法を愚直に追うというのが、不完全性定理を理解するポイントになるとあって、それに関連した細かいエピソードがちりばめられているのが印象に残った。

0.9、0.99、0.999の先に0.999...は出てこない、0.999...なんて書くからまぎらわしいんだよ、まったく! ♥ とか書いてくれればいいのにさ。たとえば−
・0.9、0.99、0.999、...は、♥ に限りなく近づく。
・そして、♥ は1に等しい。
こんなふうに言ってくれれば、何も混乱しないのに。(p.98)

ちょうどこの間、ユーリがその定理の話をしていたよ。ええっと、≪理性の限界≫を証明した定理だとか」
「ユーリがそんなことを?」彼女は顔を上げた。険しい表情。
「……うん」
「理性の限界……その理解はまずい」とミルカさん。(p.127)

≪矛盾している形式的体系は完全だ≫という主張は、辞書的意味に引きずられると不思議に聞こえる。でも、数学的な定義を考えれば当たり前だ」
「矛盾していれば完全なんですか……」とテトラちゃんがつぶやいた。
「≪矛盾していれば完全≫という言葉から、哲学的な意味や人生訓話を引き出してはいけない。いや、引き出すのは個人の自由だけれど、それは数学的には無意味だ。(p.305)

利己的な遺伝子」とか「アローの不可能性定理」とかもそうだけれど、ゲーデルのこの定理も表面的な言葉で誤用されることが多いという意味では気の毒な定理かもしれない。本書中に出てくる「不完備性定理」の方が良かったのかな。


 あと一つ気に入った台詞があったので。

この地球で数学を学ぶものは、ひとり残らず、ワイエルシュトラスから
ε−δ
という≪鍵≫をもらう。そして」ミルカさんは両手をゆっくりと広げる。
「そのε−δで、極限の≪扉≫を開け、無限の迷宮から脱出するんだ。」(p.182)