k-takahashi's blog

個人雑記用

制限戦争指導論 〜戦争の真の目的は平和であり、勝利ではない

フラー 制限戦争指導論

フラー 制限戦争指導論

無制限戦争を回避するために、いかなる戦争指導をするべきかについてまとめた一冊。ここで言う制限戦争というのは、規模のこともあるが目的のことだと考えれば良いのだろう。具体的に言えば、「無条件降伏」を求めるような戦争が「無制限」となる。

原題は、"The Conduct of War: A study of the Impact of the French, Industrial, and Russian Revolution on War and its Conduct"。1962年の本なので、およそ半世紀前に書かれたものとなる。
中世風の戦争は目的が限定された「制限」戦争であったが、フランス革命によって「無制限」化した。また、産業革命による兵器の革新の影響は国家全体に及ぶようになった。ロシア革命も、暴力(戦争)を過剰に重視するイデオロギーを蔓延させている。


冷戦期に書かれた本で、「2回も大きな戦争をやったにも関わらず、全然平和が実現できていないのはなぜなんだ!」という疑問が根底にあるんだろうな、と勝手に推測している。
和訳で500ページ以上ある本で、それこそじっくり研究するタイプの本。本来、私の手に負えるレベルの本ではないのだが、そういう人はそういう人なりに読んでおけばよいのだと思う。以下は部分的なものを幾つか。


今の「対テロ戦争」も、歴史的には、本書で書かれたような視点で整理し直されることになるのだろうな。

未完成な戦争論

彼は間接的にではあるが、二十世紀における無制限戦争の拡大に大きな責任をおうことになった。反面、戦争と政治の関係についての彼の分析は他に類を見ない鋭いもので、出版当時よりも今日の方が、よりいっそう重要な意味を持っていると言えよう。奇妙なことには、戦争と政治に関するクラウゼヴィッツの分析に対する認識の欠如が、彼の絶対的戦争の概念よりも遙かに、無制限戦争拡大の原動力となったのである。(p.82)

クラウゼヴィッツの論は、戦争の重要性を過大評価しているという指摘。

マルクス、銃器への影響

原題に「産業革命」と入っているように、フラーはこの革命を非常に重要視している。社会への影響、国家力への影響、そして軍事力への影響。フラーは、この時期の急激な兵器の進歩を解説している。
また、前述のクラウゼヴィッツの欠点を明確に受け継いだのがマルクスということになるらしい。

南北戦争は絶対的戦争

南北戦争は、「合衆国を解体すべきか、このまま維持すべきか」を決定し、あらゆる難問を一挙に解決せんとするものであったから、戦争の正確が絶対的なものとなった。もし合衆国を持続するとしたら、南部諸州が無条件に北部諸州に従うか、北部が無条件に南武を従わせるかしなければならない。ところが、南武は北部に従うことを拒否したのであるから、北部は妥協無き戦争に訴えることになったのである。
二十世紀の総力戦と同様、まず激しい宣伝戦が数年前から始まった。この宣伝戦は穏健的で、思慮分別ある意見を、戦争勃発のずっと以前に抹殺してしまい、原始部族の狂信的気風を、相手の両派に充満させてしまったのである。(p.141)

絶対的だったゆえに勝利が至上のものとなり、無用な破壊が起きたとわけであった。
ただ、この章を読んでいて感じた疑問が一つある。第二次大戦という非制限戦争は平和につながらなかったが、南北戦争という非制限戦争はそれなりに平和につながっている。この違いはなぜなんだろうか。(アメリカの南部と北部で政治的な対立があるのは知っているが、それが戦争のようなものを起こすかというとフィクションのレベルでしかないだろう。)

モルトケの戦争は限定的

一方で、同じ19世紀でも、モルトケは絶対的戦争という観念にとらわれなかった。
だから、普墺・普仏両戦争は、限定された目的がひとたび達成されると、穏健な和平会議により戦争は終結したのである。

レーニンとクラウゼビッツ

フランス革命以後、最も著名な三人の革命家、エンゲルスマルクスレーニンは、いずれも軍人ではなかったが、クラウゼヴィッツに学ぶところ極めて大であった。このことは、戦争の本質に関するクラウゼヴィッツの洞察力がいかに卓越したものであったかということを如実に示すものである。(p.310)

電撃戦ナチスドイツで最初に実現した理由

フラーも電撃戦の有効性について述べている。しかし、それがドイツで実現したことについては、国家の立場の違いによるものという説を唱えている。

ドーウェの理論と筆者の理論はともに攻撃にその基礎を置いている。したがって、これらを実行に移すためには攻勢戦略をとる必要がある。そしてこのためには、攻撃的政治目標が必要になってくる。したがって、これらの理論を採用するか、拒否ないしは修正するかの鍵は将来の攻勢にあたり、取るべき政策の中に見いだされるべきである。
英仏両国の政策は国際連盟の支援下に、現状維持政策を保持することであった。(p.363)

同じく攻撃的な政策をとっていたソ連電撃戦が実現しなかった理由は、また別にあるということだろう。(容易に想像はつくが)

三つの戦争観

民主主義者達の戦争観は、奴隷にされた非人民を解放するか、あるいは自分たちの奴隷化を防ぐことであった。国家社会主義者達のそれはドイツ帝国を民族的にも、領土的にも拡張することであった。ソビエト・ロシアの戦争観は階級闘争を拡大することにより世界革命を助成することであった。民主主義者達にとって、平和は本来、目的であり、戦争の停止を意味した。国家社会主義者達にとって、平和は戦争をもくろむ時期であり、ロシアのマルクス主義者達にとって、それは戦争の別の形態に過ぎなかった。(p.371)

チャーチル

「英国ははじめからドイツの反ヒトラー派を見殺しにしていた、という主張は神話に過ぎない。”いかさま戦争”をやっていた期間も、チェンバレン政府になってからも、そのような主張は真実とほど遠い。(p.375)

しかし、チャーチルはあまりに好戦的に過ぎた、というのがフラーの見解のようだ。

 戦争において、勝利は目的達成のための一手段にすぎない。真の政治家にとって、戦争の目的は平和である。このことをチャーチルは最後の最後になるまで理解できなかった。彼がこのことを理解したときには、すでにこうむった損害を償うには遅すぎたのである。五月十三日以降、チャーチルにとって戦争は「ヒトラーを敗北させ、破滅させ、虐殺することであって、その他のあらゆる目的や忠誠や目標を排除する」ことになった。(p.379)


このチャーチルの目的逸脱は1945年のポーランドで悲劇的な形で現れる。

スターリンが四月に開催される反枢軸連合国サンフランシスコ会議に参加することに同意したとき、ポーランドはロシアというオオカミの眼前に投げ出される羽目になった。ポーランドの領土保全こそが英国の参戦原因であったにもかかわらずである。(pp.437-438)


勝利を希求するがために、無条件降伏を獲得するために、ソ連の勢力拡大を導いた米英指導者の大失敗という見方になっている。制限戦争という考え方(目的が平和)であるなら、ソ連の勢力を拡大させる必要はなかったのだ。
特に日本から見れば、ソ連の対日参戦はまさに火事場泥棒。英米がそれを認めたのは、日本に無条件降伏を強いるためにあらゆる手段を使うという判断からとなる。

大戦略の目的は

戦争は一つの政治的手段であるというクラウゼヴィッツの主張は、あらゆる軍事政策の第一原則である。しかし、敵を完全に打倒せよという彼の同じ主張は、大戦略の目的を達成できないものにした。なぜなら、大戦略の目的は真の平和の達成であり、そのためには敵の殲滅ではなく、戦争原因の除去または戦争目的の緩和を必要とするからである。
人間は道具を使用する動物であるが故に、人間が作る道具は必然的に社会の発展に、そして社会が取る形態に影響しなければならない、とマルクスは主張した。このこと自体は全く正しかった。しかし、このことから、社会の形態は階級闘争の手段によってのみ変革し得る、という誤った結論をマルクスは導き出した。
クラウゼヴィッツは、平和が戦争の究極的目的であることを理解できなかった。一方マルクスは、上記時代における経済的・社会的究極目的は革命的過程ではなく、発展的過程を通じて産業社会を創設することにあるということを理解できなかった。(pp.462-463)

クラウゼヴィッツマルクスも、暴力をあまりに強調しすぎた。暴力というものは、強制することはできても、創造することはできないものである。(p.463)

本書を読んでいると、全体的にクラウゼヴィッツへの批判が強い印象を受ける。同じ時期の戦略家リデル・ハートの『戦略論』を読んだときには、「正しく読めていない」という批判が中心だったが、フラーはクラウゼヴィッツ自身への批判が強いような印象。

中国

本書は半世紀以上前に書かれたものだが、中国について興味深い記述が最後にあった。

中国の人口過剰が支えられないものとなり、その時、中国が核兵器を所有しておれば −いつかは中国は疑いもなく核兵器を所有するであろう− 中国は、東南アジアに通常戦争を引き起こすことにより”爆発”するよりも、”拡張”する方が都合が良いと考えるかもしれない。(p.493)

慧眼というかなんというか。