k-takahashi's blog

個人雑記用

大井篤海軍大尉アメリカ留学記

海上護衛戦』*1で有名な大井篤大佐が、平成4年から7年まで雑誌「水交」に連載していたエッセイ『保科さんと私』をまとめたもの。
大井先生は1994年の12月に急逝されたため、エッセイも未完となっている。そこを補う意味も含めて阿川尚之氏が長めの解説を入れている。

明治以来、多くの海軍士官がアメリカだけでなく、イギリス、ロシア、ドイツその他に留学を許され、自由に見学し学んだ。広瀬武夫のロシア留学は有名である。山本五十六アメリカへ留学し、アメリカの圧倒的な国力を認識した。海軍には見識をもった軍人を育てる余裕があった。それにもかかわらず日本はアメリカと結局無謀な戦争を戦う。大日本帝国海軍は滅びる。なぜそうなったのかは、大井さんが戦後一貫して追究したテーマである。(No.2772 阿川氏の解説)

海上護衛戦』は艦これブームに乗る形で去年の5月に復刊されたので読んだ人も多いと思う。あの本の大井先生の海軍に対する罵倒ぶりは、有名な

国をあげての戦争に、水上部隊の伝統が何だ。水上部隊の栄光が何だ。馬鹿野郎

という啖呵でも知られている。


その大井先生は、1930年から32年まで米国に留学している。その時の話を中心に、「米国をどう理解するか」について色々と書いている。
山本五十六も留学したときに米国の大きさに驚いたと言われているが、大井先生は「米国とは?」という観点からその辺を掘り下げて考えていた

米国の技術力は陸海空軍に集中しているのではなく、陸海空軍が一般技術界から所要に応じて採取するのである。だから戦時の総動員になるとその採取が無限性を発揮する。(No.722)

生活水準が高く、贅沢に慣れている米国民は困苦欠乏に耐える精神力も体力も弱くなっているのは当然だから厭戦的で戦場での頑張りが利かないといった考え方の日本人が多かったのである。そんな関係で私どもはそうした日本的米国人観がどの程度当たっているだろうかを考えてみることが私ども五人にとっての共通の課題(No.2188)

留学中に考えた結果、「米国を敵に回すのはまずい」となったけれども、この辺をうまく日本に(政府に、軍に、国民に)伝えられなかったのは大井先生にとって悔やまれることだったのだろう。


軍縮条約についても面白い指摘がある。

ロンドン会議は潜水艦を無制限的に商船攻撃に使用することを厳禁することを協定したわけだが、なお見逃しえないのは、この無制限潜水艦戦厳禁はワシントン・ロンドン両条約の有効期限が切れた後も、独自の国際的法規として継続すべきものとされたことだった。
そこで私としては「然らば第二次大戦・太平洋戦争での潜水艦戦が何故に無制限的なものになったのか」を説明しなければならない。(No.754)

とは言うものの、一次大戦では商船攻撃の被害者側だった米国が対日戦できちんと潜水艦を運用していたのだから、日本側の手抜きというのは否定しがたい。

元宣教師で博士号をもつ下宿の老主人は、隠居の身の閑にまかせていろんなものを読んでいたが、ただの一度もロンドン条約問題を話題にしたことがなかった。(No.2599)

日本にとっては大きく道を誤る契機の一つとなった軍縮条約だけれど、一般米国人はあまり関心がなかったようだ。


一つ面白かったのが、大井先生のお宅の最寄りの書店は「二子玉川高島屋ショッピングセンター紀伊國屋書店」だった(No.1027)ということ。御存命中に何度かあそこには行っているので、接近遭遇してた可能性もあったんだなあ。


未完のエッセイということもあるし、特にジェファソンへについてはもっと語って欲しかったような気もする(阿河氏が色々と補ってくれていますが、リンカーンに触れていない理由とか、そういった当時の理解が戦後の復興にどう繋がったのかとか、書いて欲しかったことは多い)。


海上護衛戦』についての検証という話もあり、大井先生の言うことをそのまま真に受けるわけにはいかないけれど、大井先生が何を考えていたのかということは興味深いのは間違いない。

*1:

海上護衛戦 (角川文庫)

海上護衛戦 (角川文庫)