- 作者: ジェイン・マクゴニガル,妹尾 堅一郎,武山政直,藤本 徹,藤井 清美
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2011/10/07
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 100回
- この商品を含むブログ (38件) を見る
著者のジェイン・マクゴニガルは、以前TEDのプレゼンを見たことがあった。
このときは、随分威勢の良いお姉さんだなと思ったのだが、本書には彼女自身が脳震盪の後遺症で大変な苦労をしたこと、リハビリのための苦労をまさにゲーム化によって大幅に改善したことが書かれていた。なるほど、それだけの体験をしているというのもあの自信に満ちたプレゼンに繋がっているわけか。
さて、本書には幾つかの内容が書かれている。ゲームとは何か、現実がゲームとしてはいかに駄目なものでそれはどう改善するべきなのか、ゲーマーがどれほど優秀であるか、現実問題を解決するためにどのようにゲームと使えばいいのか、などなど。
500ページ強ある本書は、そういった観点から見た具体例の山と言って良い。(但し、日本人にはなじみのないものが多いので、そこはちょっと割引が必要)
ゲームとは
すべてのゲームに共通する四つの特徴があります。ゴールとルールとフィードバックシステムと自発的な参加です。(p.39)
マクゴニガル氏による定義はこれになる。面白いのは、
インタラクションや画像、物語、報酬、競争、仮想環境、勝利条件など、今時のゲームに思い当たる特徴が含まれていない(p.40)
とわざわざ付け足しているところ。ただ、他はともかくインタラクションを外した理由はよく分からない。氏がフィードバックと呼んでいる内容とインタラクションの違いのことなんだが、定義とか読み落としたのかもしれない。
現実修復法
さて、本書の中心テーマは、現実がなぜダメ(broken)で、それをどうやって修正するかということ。以下に抜き出してみる。
- 取り組む必要の無い障壁:ゲームと比べると、現実は易しすぎる。ゲームは私たちが自発的に越えたくなる障壁に挑ませることで、私たち個人が持つ力をよりよい方向に用いるための助けとなってくれる。(p.41)
- 感情の活性化:ゲームと比べると、現実は抑圧的だ。ゲームはしつこいまでの楽観さで、私たちが得意で楽しめることに活力を向けさせてくれる。(p.62)
- より満足のいく仕事:ゲームと比べると、現実は非生産的だ。ゲームはより明確なミッションと満足のいく具体的な仕事を与えてくれる。(p.84)
- よりよい成功への希望:ゲームと比べると、現実には希望がない。ゲームは失敗への恐れを取り除いて、成功のチャンスを高めてくれる。(p.101)
- より強力な社会的つながり:ゲームと比べると、現実ではつながりが失われている。ゲームはより強力な社会的連帯やより活発なソーシャルネットワークを生み出しているのだ。このソーシャルネットワークを通じて交流するうちに、「向社会的感情」と呼ばれる前向きな気持ちが生まれやすくなる。(p.121)
- 壮大なスケール:ゲームに比べれば、現実は些細なものだ。ゲームは、私たちの行動を何か巨大で壮大な意味を持つものにしてくれる。(p.142)
- 心から参加すること:ゲームに比べると、現実は没入しにくい。ゲームは私たちに、自分のしていることにもっと不拡散化しようという意欲を起こさせる。(p.176)
- 意味のある報酬を、それがもっとも必要なときに得られるようにする:ゲームに比べると、現実は無意味で報われない。ゲームは、私たちが努力に対してよりすばらしい報酬が得られたと感じる手助けをしてくれる。(p.211)
- 見知らぬ人ともっと愉しむ:ゲームに比べると、現実は孤独で孤立している。ゲームは私たちが結束してゼロから強力なコミュニティを気付く手助けをしてくれる。(p.247)
- 幸せハッキングをしよう:ゲームと比べると、現実は受け入れにくい。ゲームは私たちがよいアドバイスを受け入れ、より幸せになる生活習慣を試すのを、よりたやすくしてくれる。(p.270)
- 持続可能なエンゲージメントエコノミー:ゲームと比べると、現実は持続不可能だ。私たちがゲームをすることから得る満足感は無限に再生可能な資源である。(p.346)
- より多くのエピックウィン:ゲームに比べると、現実は大きな目標を持たせてくれない。ゲームは私たちがぞくぞくするような凄い目標を定め、不可能に見える社会的ミッションにみんなで取り組む手出すけをしてくれる。(p.358)
- 一万時間の協働:ゲームに比べtえ、現実はまとまりがなく分裂している。ゲームは私たちがより協調的な活動を行う手助けを氏、やがて私たちに協働のスーパーパワーを与えてくれる。(p.392)
- 大規模多人数参加型未来予想:現実は現在に足止めされている。ゲームは私たちがみんなで未来を思い描き、作り出す手助けをしてくれる。(p.426)
それぞれについて、前述の4つゲームの特徴を活用することで現実をより面白い「ゲーム」によって改善できることを具体例を大量に用いて解説している。
正直なところかなり牽強付会的なところは私も感じているのだが、それでも、「ああ、確かにこれは使えそうだ」という話が山盛りなので、一読して損はない。「状況を変えるにはまず状況の正確な把握が必要」というのはまさに見える化そのもの、フィードバックというのは要するにPDCAサイクルのことだ。そういう意味で通常の社会的ビジネス的視点からも、決して乖離しているわけではない。こういった課題をうまく扱えっている「ゲーム」という枠組みを現実世界で使わない手はないだろ、というわけだ。
もう一つ重要なのは、
私たちは、強制されたもので本物ではないと感じる活動に本能的に抵抗感を持ちます。(p.265)
「一日一善」を強制されたらどうなる? とりあえず衣食足りた人なら、他者にちょっとした親切をするのを嫌がることは少ない。でも強制感を受けたら嫌になる。
ゲームという枠組みを持ち込めばこの抵抗感を大幅に緩和できるということ。
留保
ということで、ゲームとゲーマーのすばらしさを高らかに歌い上げた本書は、色々な意味で今読んで一読の価値がある。
ただ、本書では多くの人々がとか、世界がとかの話がよく出てくる。これが良いゲームの条件「自発的参加」と本当に整合するのかというところはずっと引っかかったままだった。
本書中には、クラウドソーシング(Crowd Sourcing)を有効活用するためにゲームの枠組みを使うという話題も出てきたが、そこには人の関心というリソースの取り合いということが書かれていた。一歩間違えば「これは良いことだ。ゆえに参加するべきだ」という話になりかねない。
本当に自発性が守られるのか、という疑問は読み続けて最後まで引っかかったままだった。