k-takahashi's blog

個人雑記用

ドラえもん生誕-100周年記念日

今日はドラえもん生誕-100周年記念日。Googleも記念イベントをやっていた。

2112 年 9 月 3 日、つまり今日からちょうど 100 年後は、ドラえもんの誕生日だということをご存知でしょうか? Google では、この日を記念して、より音声検索を楽しんでいただけるようなスマートフォン向けコンテンツ「みらいサーチ」(http://www.miraisearch.jp/)を開設、本日公開しました。

Google Japan Blog: 音声検索で呼んでみよう。みらいサーチ本日公開

100年後に出来ているはず(ドラえもんに登場する)道具と、それに相当する現在の状況を表示するもので、さすがに網羅はしていないけれど色々と紹介してくれている。100年越しのタイムカプセルといった感じだろうか。


第一話からして歴史改変/タイムパラドックスネタだった(「過去を変えたらセワシ君が生まれなくなるのでは?」という質問に対して、「東京から大阪に行くのにだって色々な方法があるだろう」と説明するのがこの第一話。)ドラえもんというマンガには当然のように時間を扱ったエピソードが多い。
実質的な最終回とされる「45年後」も、未来の自分が過去の自分に対して、未来から見た過去であり過去から見た未来について語るという話で、本気でSF的に突っ込んでいくと非常にややこしい話になっていく。大人向けのSF短編には、このテーマでかなりダークな展開をするストーリーもあるが、そこはドラえもん。あくまでも前向き。


ドラえもんの世界において、未来は変わるし、未来は変わらない。人は変わるし、人は変わらない。
藤子・F・不二雄全集のドラえもんが、「学年誌を読み上がっていく順」にまとめているのは、ドラえもんが一つの流れを持っていることを意識した編集だろうし、学年誌という反復世界でドラえもんが描かれたことの反映でもある。そこでは何かが変わるし、何かは変わらない。変化の中にはドラえもんを描いている間に、ドラえもんを描くことによって藤子先生自体が変わったということもある。変わらない部分というのは藤子先生が最後まで持ち続けた子供漫画的なものがその一部だろう。
この重層的なパラレルワールドという構成は、ドラえもんという長大なシリーズ(藤子・F・不二雄全集、100巻のうち25巻がドラえもん)を考えるときの重要なポイントだと思っている。


人類が反科学・反技術の方向に堕していったりしなければ、ドラえもんで描かれた道具の大半は100年以内に実現するだろう。(タイムマシンは難しいかな。実質的どこでもドアはできているだろう。)
そのときの道具を取り出すハブであり、道具を探すGoogle*1である「ドラえもん」は、今のドラえもんとどのくらい変わっていて、どのくらい変わっていないだろう。

*1:今日Googleドラえもんをネタにした音声検索をデモに出したのは、そういう理由だと思っている。