k-takahashi's blog

個人雑記用

幽霊屋敷の文化史 〜ヨーロッパから、アメリカへ、東京へ

「幽霊屋敷」の文化史 (講談社現代新書)

「幽霊屋敷」の文化史 (講談社現代新書)

ここでいう「幽霊屋敷」は、ディズニーランドの「ホーンテッドマンション」のこと。

グリフィンの像に見つめられながら重厚な門をくぐると、そこにはレンガづくりのゴシック風洋館が。ここに住んでいるのは、999人もの幽霊たちです。彼らは、この館を訪れる人を1000人目の仲間にしようと待ち構えています。
目が光る肖像画、レクイエムを奏でる無人のピアノ、そしていつの間にか、あなたの隣りに座るのは…!?

http://www.tokyodisneyresort.co.jp/tdl/fl/atr_haunted.html

今となっては、TDLの人気アトラクションの一つであり、別に違和感は感じない。しかし、「なぜディズニーランドの中にお化け屋敷があるのか」と問われてみると確かに変な気がする。一方、「じゃあ、あれいらないよね」と言われても、それも違う気がする。

ゴシック文学

本書は、このお化け屋敷の基になっている欧州幽霊譚を説明するために、ヨーロッパにおけるゴシック文学の伝統についての解説をしている。キリスト教文化圏においては、幽霊話は少数派である。なぜなら、キリスト教では死後は裁きを受けて天国か地獄に行くものだから。そんな欧州で幽霊物語を有名にした立役者がシェイクスピアハムレットの幽霊などは有名だが、むしろかなり特殊だったということになる。


その後、18世紀英国の「墓地派」などが起こる。このとき、廃墟として筆頭になっていたのが、ヘンリー8世によって弾圧されていた旧カトリック修道院。これらの修道院ゴシック様式だったため、「幽霊 = ゴシック」という感覚が広まったのだそうだ。


やがて、この「ゴシック」が独り立ちし、

「ゴシック風の屋敷」はあくまで「ゴシック物語」にふさわしいと感じられる屋敷なのであり、厳密な意味では中世のゴシック建築と同じものではない。想像上の建築様式といってもよいだろう。(p.58)

となっていく。ちなみに、「ゴシック・ストーリー」というのは、ホレス・ウォルポール命名による。そして、メアリー・シェリー、ポー、ラフカディオ・ハーンといった人たちへと流れていく。(但し、ポーは「ゴシック」という単語はあえて避けている)


結局、

悪趣味で恐ろしく、どこか懐古的で異国情緒を示す言葉(p.116)

になった、と。

見世物

幽霊を見て楽しむ(怖がる)というエンターテインメントは18世紀末のフランスで始まる。それが「ファンタスマゴリー」。幻灯機を使って、スクリーンに映像を映し出す仕掛けで、動かしたり、拡大縮小したり、スクリーンをこっそり動かしたり、となかなか凝ったことをしていたそうだ。


ところが、18世紀末のフランスと言えば革命期。ルイ16世の幽霊という危険な出し物をやってしまい、追放されたり投獄されたりした興行主もいたとか。

それもあってか、この出し物はイギリスへ渡る。また、有名なマダム・タッソーの蝋人形も同時期にイギリスに渡っている。マダム・タッソーは「リピーターを飽きさせないための工夫」を徹底的に行っており、これは、ある意味で現在のディズニーランドに通じるものでもある。


ともあれ、この時点で、幽霊を見るエンターテインメントはロンドンに渡ったことになる。


ところが、こういうテクノロジーを使った出し物はどうしても「飽きられ」てくる。見る側の目が肥えてくるからでもある。(そういう意味で、単に人間そっくりな人形というテクノロジーだけでなく、展示会場や蝋人形の見せ方にこだわったマダム・タッソーの先見性が光る。)
そんな中、19世紀後半に立体ファンタスマゴリーの技法が開発される。「ダークスのファンタスマゴリー」(ペッパーズ・ゴースト)と呼ばれる方法で、斜めのガラス板の反射と透過を利用した方法。立体感や奥行きを正しく表現できるという優れものだったが、演出の制約も大きかった。

ディズニーランド

ホーンテッドマンションは最初、ロスのディズニーランドに設置される。しかし、最初からではなかった。最初の拡張エリアであった「ニューオーリンズ・スクエア」に配置されることが決まると、ホーンテッドマンションの外見も、植民地時代のニューオーリンズに相応しいものに変更される。
実は、このときのデザインはニューオーリンズとは関係ない、ボルチモアの住宅をそれっぽくアレンジしたものだった。ボルチモアのイタリア風建築の細部を細工して架空のニューオーリンズ風を創ったのだ。
一方、内部は内部で難航する。「ディズニーランドに相応しい、新しい闇の物語とは」(p.244)という課題は難題で、結局開館は1969年。ディズニーランド開演から14年後だった。


さて、次がフロリダ。今度のホーンテッド・マンションはリバティ・スクエア、独立時代のアメリカが舞台のエリアに置かれる。もちろん、ニューオーリンズ風ではだめだ。
デザイナー達は、有名な「スリーピー・ホローの伝説」を頼りにハドソン川流域を取材するが、なかなか良いものが無い。結局、ペンシルヴァニアにある19世紀の建物をベースに細部を修正して「それらしい」建物が作られた。
こちらのデザインは、TDLホーンテッド・マンションと同じだが、ポイントは、やはり「実在しないデザイン」だったというところ。


こうして、「そこにあるはずのない」デザインとなった2代のホーンテッド・マンション。そして、TDLでは遂に「ファンタジーランド」という非実在空間に堂々と鎮座することになった。
ある意味で、「ゴシック風」の完成であるとも言える。

仕組みの解説

本書には、「ホーンテッドマンション」の仕掛けの解説も書かれている。ディズニー公認ということではないようなので、あくまでも著者が専門家としてのコメントを書いているのだが、なるほどと思う部分が多く、それ目当てで本書を買ってもよいと思う。

面白かったのが、著者は子供の頃、ホーンテッドマンションの幽霊をレーザーホログラムだと思い込んでいたというエピソードの紹介。そして、実はそんな最新技術ではなく、19世紀の古い技法(ペッパーズ・ゴースト)だと聞いてびっくりしたのだとか。

まとめ

冒頭の擬古文、アトラクションの簡単な紹介、そしてゴシック文学の解説、18〜19世紀の幽霊興業紹介と続き、一体著者は何者なんだろうと思って読み進めていた。さすがに建築デザインの話になると筆の冴えがまし、やはりここが専門なんだなというのが分かるが、様々な蘊蓄が楽しい。
いわゆる「ディズニー・トリビア」とは毛色が異なるけれど、知的好奇心は満たされる。お勧めの一冊。


ところで、幽霊屋敷とはちょっとずれるけれど、著者の専門に関わる面白い指摘があったので引用。

じつは、ノイシュヴァンシュタイン城の影響がより色濃く表れているのは、シンデレラ城よりもむしろカリフォルニア・ディズニーランドの「眠れる美女の城」のほうなのだが、シンデレラ城においてもノイシュヴァンシュタイン城からの影響を無視することはできない。シンデレラ城はノイシュヴァンシュタイン城の原型に、フランスゴシック様式の城の要素を加味していったものと考えることができよう。(pp.220-221)

(シンデレラ城について)
とくにその塔や屋根のデザイン、装飾的なアーチなどには、フランスのユッセ城やピエールフォン城などからの影響を見て取ることができるだろう。
ユッセ城は実際に中世のフランスで建設された後期ゴシック時代の城郭建築である。17世紀フランスの童話作家シャルル・ペローが童話「眠れる森の美女」を執筆していたときに滞在していた城(pp.225-226)

美術史家のエリカ・ドスは、ディズニーの「眠れる美女の城」のデザインソースとしては、ノイシュヴァンシュタイン城よりもファルケンシュタイン城のほうがふさわしい、と指摘している。(p.229)

ファルケンシュタイン城は計画だけで実現しなかった城。ホーンテッド・マンションの「非実在性」の解説を受けた後だと、確かに、実現しなかった城のデザインがディズニーランドに現れた、の方が腑には落ちる。